いつか終わる日々のために

「門松は 冥土の旅の 一里塚」と、のたまったのは一休禅師だったか。
自分探しは終わった。
出来ることは限られている。
今さら寄り道をしている場合じゃないんだ。
判っているはずなのに、なぜ無駄なことを考えるんだろう。
僕が動くことで他人に迷惑をかけたら、どうやって責任をとればいいんだろう、とか。
馬鹿馬鹿しい。
自分の意志と他人の意向を天秤にかけたつもりになっていた。
他人に一度かけた迷惑を、何かと相殺して取り返すことができると思っていた。
初めから関係なかったと思えば、そこに帰ることもできたのだと思う。
でも、たまたま危ういバランスで成り立っているその状態を乱すことで、元々のそれよりさらに悪い状態になることを恐れて、僕は立ち止まることにした。
眠らずに今日をいつまでも続けていれば、少しは立ち止まっていられる気がした。
睡眠不足で呂律が回らなくなったとしても、それはそれで笑ってもらえるかもしれない。
僕は自分の意志で、毎日堂々巡りする生活を始めることにした。
サンプルされたその日のループは一種類だったので、明日が来る意味はなかった。
そもそも、たとえどこかに向かって歩いていたとしても、その先には何かあったんだろうか。
もしかして、ずっと立ち止まっていたらループの終わりが見えるのかもしれない。
また、朝が来る。