本音と建前の両方を使い分けるのは日本の大人の嗜みだから、僕も二つの線の上で物を考えるようになった。
目をつぶったり耳を塞いだりして、大人のふりをするのが一番親切なのかも知れない。現実的に何か嬉しいことを毎日寄与していけるかと言われると返す言葉がない。例えば朝起きてスクランブルエッグを食べてみる生活とか、憧れるのだけれど実現できない。
だからと言って、自分から手を振り払うつもりはなくて、届く範囲にあるのなら手元に引き寄せておきたい。なんて我儘なんだろうと思う。今の仕事、生活パターン、優先順位を変えずに何かを手に入れようと考えていること自体がずるいことだし、運に任せて何か良いことが起きるわけもない。走って追いかけて行かなければならないのかも知れないけれど、全てを捨てて走っていったところでその時点で僕には価値が残されているのだろうか。
現時点では、そうすることがベストではないと感じるので、僕は現状のまま努力して成果を上げる方が先だと判断している。その結果遠くで何かが起こったとして、それは自分が選んだ結果なので、その結果を見て次の行動を考えるしかないのだと思う。一度繋いだ人間関係を意識的に切るのは今までずっと極端に苦手だったので、口も利けなくなるとか、一切音信不通にしなければならないとかいった、取り返しのつかないことにならなければ良いんだけれど。そうではなくて、例えば一緒に歌が歌えたりするのなら、今は多分大丈夫。焦り始める時期になったら、まだわからないけれど。