自分以外の誰かが

What was I? It was up to you.

What was I? It was up to you.

帰り道、頭の中でこのフレーズがリフレインを作って流れて、3弦開放をペダルに4弦が移動するディストーションギターが流れ込んできて、Sonic Youth の Tunic (Song for Caren)を更にペシミスティックにした、少し Joe Satriani の I am become death のような音階がただBPM130前後の8分音符で刻まれた。

G – G – G – G – G – G – G – G –

A – G – F#- G – Eb- Eb- D – F-D

コードで言うとこんな感じか。

Gmadd9 Gm Cm(#11) Cm Eb(#11) EbM7 Gm Gm7

ここ2週間ほど体調が悪く、少し油断すると6年前に患った顔面神経麻痺が再発しそうな雰囲気。勤務制限と薬で抑えてはいるけれど。だから最近あまりちゃんと声が出なかったり、まともなギターが弾けなかったりするのだろうか。望むには幼い時には有り余っていたのに望む頃にはいざ知らず。

でも仕方ない。どんな人生を望んでどんな無謀な努力をしていたとしても、そんなことは誰にとってもどうでもいい事だろう。今自分以外の誰かに見える結果が全てなのだから、見えていないところは全部どこかにしまっておいて、exist と be と realize が同格だと宣言して、たゆたってみようかと思った。誰かがそう思うんだったらそうなのだ。過去にそうであったと決めるのは他人の多くで、評価は委ねるしかない。それが集合知であり、衆愚であり、運命なのかもしれない。

よくわからないけれど、降ってきたものは有効に使おうと思うのでメモ。