ルータに続きPCも壊れたので、自宅でまともに動くWindowsマシンが一台もなくなりました。
身近に過ごした人や動物の死に滅法弱い。
すぐに眠れなくなったりする。
小学校5年生の夏休み、8月5日の午後に弟と二人で小学校の図書館に行った。何を借りに行ったのかは思い出せない。
うちは小学校の正門の反対側にあったので、夏休みはいつも学校裏の土手を飛び降りて校舎の裏から出入りしていた。図書館から帰るときに何気なく校舎脇に立ててあった土管に腰掛けると、中に小さい黒の子猫がいた。
周りに廃材が積んであったので、歩いてきて落ち込んだのかもしれないし、誰かが中に入れたのかもしれない。土管の長さは1mくらいはあり、15cmくらいの子猫はそこから出られそうにもないので、土管から出して土手の上に乗せた。
家に帰ろうと歩き始めると猫は黙ってついてきた。
両脇が田んぼに切れ落ちた、家のないまっすぐな土手道を歩いていると晴れ空から突然ざあざあ雨が降り始めた。子猫は痩せていて、濡れるととすぐにみすぼらしくなる。寒いからか、僕や弟の足の間に入ってくるぶし辺りに身体を寄せてきた。
1kmほどの家までの道、通り雨は途中でやみ、登りになっても猫は歩いてうちまでついてきた。
前の月に友達の家の子猫をもらってきて叱られて、結局返す羽目になった翌週だったので、当然ながら親には反対された。長い間説得して、家の外に箱に入れて一晩置いておき、どこにも行かなかったら飼ってもいいことになった。
人懐っこい猫はどこにも行かなかった。
野良猫生活時代のノミを取ってやり、魚を食わせてブラシをかけると毛並みがとてもよくなった。高床の猫小屋を作ってやるとそこに居つき、ねずみや鳥を捕まえては見せびらかしに来た挙句、金魚蜂の金魚まで取って食い、家から100m以上離れた畑から名前を呼ぶと尻尾を立てて全力疾走してきたりして、近所の猫とも仲良くしてたくさんの子供を産んだ。近所に住んでいた祖父祖母にもかわいがられ、うちが留守にしていて帰ってくると少し太っていることすらあった。
8年後には自分は実家を出て京都に住み始めた。
10年後には弟も実家を出た。
12年後に祖父が、18年半後には祖母も亡くなったが、猫はずっと実家にいた。たまの帰省で会っても良く覚えてくれているようだった。
20年目の夏頃から、猫は目に見えて痩せ細り、目が見えなくなり耳も聞こえなくなり、時折体調を崩すようになった。ほとんど鳴かなかった猫が大声でわめくようになった。それでも去年の夏は、動物病院で点滴を受けたりしながらも何とか乗り切る事が出来た。
21年目の夏、2週間前に実家に帰った時に見ると、爪を引っ込めることも忘れて絨毯を歩けなくなっていた。最近までうるさく鳴いていたのに、暑くてその元気もないようだった。
そして食も細り、ついに昨日の朝に肉球にチアノーゼが出て動けなくなった。母が猫用座布団に寝かせたところ、しばらくして一声だけ「ニャ」と鳴いて、眠るように息を引き取ったという。
21歳と数ヶ月ということで、普通の猫の寿命はとっくに越えていたのだけれど、電話で連絡を受けると涙が出た。母が家族が一人減ったと言っていたが、21年もいたのだから全くその通りだ。僕も弟も、実家で過ごしたのは18年にしか過ぎない。
また一つ時計が止まった。今月帰る時には、祖父母と併せて猫の墓にも参ろうと思う。