カットオーバー幻想

調子に乗ってもう一つ。
今日、午前 3 時過ぎにある一つの物件の最終納品を済ませた。
納品といっても FTP や SSH でサーバにスクリプトとデータを入れて動作させるだけなので、どこかに行かなくてはならないわけではないけれど。
実は、この仕事では、同じものを 4 回作り直している。
1 月 13 日着手。 1 月 21 日納期。初期工数 10 人日。完全に 1 人でやっているので、計3日徹夜して、同日早朝、初回納品。
仕様は紙一枚で来ていただけなので細かい部分について即改修が発生し、毎日逐次修正し 29 日に第 2 回納品。
2 月 3 日に客先要望で改修が発生、初期工数と同じ費用を頂いた上で、2 月 11 日に第 3 回納品。
このときも原稿をもらえなかったため、再度改修が発生し、先ほど第 4 回納品。今度こそカットオーバーかと思っている。
自分で見て思ったけれど、この仕事単体でさえ 1 日 8 時間の労働時間の前提は破綻している。納期が終わったら次の仕事が出来ると思って次を入れていても、営業担当会社が改修を受けると決めてしまった場合下請けは断れず、絶対に 1 回でカットオーバーすることはない。次の仕事が始まってしまうと、深夜帰宅してから自宅パソコンで朝まで引きずっている方をやる羽目になるので、成果物の品質は劣化し、さらにスケジュールは遅延する。命を守るための最低限の睡眠を取るとして、それも遅延の要因に入ってしまう。
今、僕は上記以外にも、同じような過密スケジュールで工数が数人月単位の大きな物件を2つ抱えている。そちらもそれぞれ週に2回ほど納期があるので、結局毎日徹夜することになる。他の人のヘルプ作業まで入れるともっと数は増える。
そして、何よりも恐ろしいのはこの状態の僕が社内で誰よりも負担が軽いことだ。だから、僕に転がってきた仕事は誰にも振れないし、他の人から SOS が出たら助けなければ死人が出る。
そもそもなぜ、 1 人の人間が 1 ヶ月に 5 人月の工数をこなす前提でスケジュールが組まれているのだろうか。社員全員体力の限界まで働いていて、全員給料は一律なので、一番キャリアが浅く技術も足りない僕は、そのそれなりの高給を甘んじて受けるしかないのかも知れないが。
僕も、前の会社に入社した頃はカットオーバーの翌日に有休を取って休んだこともあった。今はもう、カットオーバーという言葉自体が幻想でしかない。