具体的に感想を述べることが許されていないようなので、あくまでも抽象的にこの4日間に思ったことを書く。
こなすべき儀礼的な事を一旦終わらせ、時間を気にせずにどうでもいいようなことを話す時間を共有してみた。そうやって無駄とも思える時間の使い方をして、お互いの人間臭い部分を知った上でこそ仲良くなれるのだと確認する。ここ数日、実家付近の携帯も通じない場所に戻ってみて、日常生活では滅多にそれが実現できていないことを実感したのが残念なところではある。
古い友人と久しぶりに遊ぶのは楽しい。友人の友人と仲良くなって人間関係が広がるのも楽しい。僕は上下の年齢差をあまり考えず馴れ馴れしくするし、相手方にもそうしてもらいたいと願う。なぜかいつも若干距離を測られてしまうけれど。
そのうちどれだけの人とこれから先どれほどの間付き合っていくのかは、もちろんどちらも全く知り得ない。いつも、会うのは今回のこれが最後なんじゃないかと思って会話を詰め込むきらいがある。それが鬱陶しく思われていないかはいつも気にしているけれど、人の話を聞いてそれを膨らませて返す行為が好きなので、ついいつものパターンを繰り返してしまう。
人や場所や共同体が知らない間に姿を変えていることがある。もしそれが自分にとって許せないことであったとしても、僕はそこに顔を出すのをやめるだけで、相手に元の姿を維持するのを強制することは望まない。相手の都合や意思は自分と同じくらい尊重されるべきだから。それが客観的に見て相手の損になる場合は助言してみる。受け入れられることを強要したりはしない。自分がそこに受け入れられているだけでも幸せなのだから。
今必要なのは、自分が必要とされているか、嫌悪されているが口に出していないのか、唾棄あるいは無視すべき存在とみなされているかを直感で正しく把握する能力。もう少し色々な人と深く付き合って、自分と相性が会ったり、言葉数を並べなくても意思が通じたり、相手方から自分を必要としてくれたりするような関係を増やしていければと思う。
嘘をついて起伏があるように見せなければならない人生は嫌だ。いつもそれなりのイベントが絶えない生活を求めて、必要ならばどこまででも行く。忙しいというのを言い訳にして、灰色に塗り固める必要は本当はないはずだ。イベントは共有した方が楽しいと思うので、何にでも誘ってもらいたい。過去に辛いことや恥ずかしいことがあったのは今日や明日で上塗りすればいいので、残りの毎日を贅沢に飾って行こうかなどと思う。
(追記) もし何について話しているかお分かりの方でコメントされる場合は、対象をうまくぼかしてくださいませ。
貴殿は詩人ですな。
>謎氏
決してそういった大層なものではなく、単に表現が婉曲なだけかと。