友人末座氏は出張で人生初の海外渡航をするらしい。
かく言う僕も海外未経験だ。学生時代には友達によく海外旅行に誘われたけれど、お金の問題で一度も行かないままだった。カナダのウィスラーにスキーに行かないか、と誘ってくる学科の友人を、一体どこの世界の住人だろうと思ったこともある。
前の会社で一度カリブ海の小国、アンティグア・バーブーダに出張になりそうになったことがある。結局その時は渡航費と売上との費用対効果が折り合わず実現はしなかった。
昨日挙式した友人夫婦はイタリアでハネムーンだそうだ。彼らは海外に何度も行っているようだから、特に海外を意識するわけでもないんだろう。人によっては別に気にすることではないのかもしれないが、僕はなぜか、海外旅行は自分の身分には不相応なのではないかと思ってしまう。
いつか、僕も海外に行くことがあるのだろうか。
配水管閉塞
友人の結婚式
結婚式に招待された。
挙式・披露宴に呼ばれたのは初めてだったので、緊張した。
ご祝儀のマナーとか、その辺の常識を全然知らなかったので本で調べたり、普段着ない高いスーツを久しぶりに取り出したら、太ったためにきつくて途方にくれたり。そもそも今朝6時まで仕事をしていたので、全ての準備はそれからだったし。
しかも僕と新郎新婦の共通の友人は僕以外全員が欠席だったので、新婦側友人で男は僕一人だけで、その上僕は挙式には少し遅刻して行った始末だった。市ヶ谷まで家から1時間もかかるのを事前に調べなかったのが敗因。この遅刻癖は何とかしないといつか大変なことになりそう。
ともあれ、規模が大きい割に手作り感漂う暖かい式と披露宴で、あちらこちらで涙や笑いを誘ういい式だった。美男美女の結婚式は見栄えもよくて、そういうのを見ていると自分もいつか、と思う。僕は今の場所に立ち止まっていてはだめなんだと再確認した一日。
バイク運
バイク運というものがあるなら、僕はとても悪いと思う。
三車線の真ん中を走っていたら両側から出てきた車に挟まれて事故り廃車。
学生時代に大学構内を走っていたら、工事中のマンホールの蓋がちゃんと閉まっていなくて、穴の中に転倒し、さらにその後盗まれて行方不明。
三台目を友達から譲ってもらい、そして横浜に出てきてからでも、バンドメンバーに貸したら薬を飲んで朦朧とした頭で駅の門柱に突入されて破壊された、など相変わらずの災難っぷりだった。
修理代を出してもらえなかったためしばらく放置していたところ、直結を試みられたのかキーポケットが破壊され、電気系統が切断されているのを今日発見した。
好きなバイクに乗るなと言う暗示だったのだろうか。もしその時に乗っていたら事故死していたとか、その手のオカルトで。
Amnesie
腹風邪流行中
L’anesthesie de moitie droite
ライブと新年会行けず
惰性
一度立ち止まってしまうと、次に歩き出さなければならないときに身の回りに壁を発見する。
okatch 氏の It really hurts へのコメントでも書いたけれど、表現することを一度休んでしまうと次に再開するときの閾値が上がってしまい、そのまま殻にこもったままになりがちだ。
登校拒否児童はこんな気持ちだったのかな、と今さら思う。
そう思ったが吉日で始めてはみた。
きっと、身の回りでどんどん blogger が増えていくのを目の当たりにしているのは大きい。
ネタの数や文章に込められるウィットは望むべくもなく、raison d’etre (レゾンデェトル) とか恰好をつけるつもりもないけれど、惰性で生きている毎日に刻み目を入れて、自分の立ち位置を思い出してみるためのツールとしてしばらく使ってみようかと思う。
いつか終わる日々のために
「門松は 冥土の旅の 一里塚」と、のたまったのは一休禅師だったか。
自分探しは終わった。
出来ることは限られている。
今さら寄り道をしている場合じゃないんだ。
判っているはずなのに、なぜ無駄なことを考えるんだろう。
僕が動くことで他人に迷惑をかけたら、どうやって責任をとればいいんだろう、とか。
馬鹿馬鹿しい。
自分の意志と他人の意向を天秤にかけたつもりになっていた。
他人に一度かけた迷惑を、何かと相殺して取り返すことができると思っていた。
初めから関係なかったと思えば、そこに帰ることもできたのだと思う。
でも、たまたま危ういバランスで成り立っているその状態を乱すことで、元々のそれよりさらに悪い状態になることを恐れて、僕は立ち止まることにした。
眠らずに今日をいつまでも続けていれば、少しは立ち止まっていられる気がした。
睡眠不足で呂律が回らなくなったとしても、それはそれで笑ってもらえるかもしれない。
僕は自分の意志で、毎日堂々巡りする生活を始めることにした。
サンプルされたその日のループは一種類だったので、明日が来る意味はなかった。
そもそも、たとえどこかに向かって歩いていたとしても、その先には何かあったんだろうか。
もしかして、ずっと立ち止まっていたらループの終わりが見えるのかもしれない。
また、朝が来る。