これは感傷的過ぎるのか

以前は何とも感じなかった曲、例えば「キミは何テラバイト?」を聞いて涙が出る事がある。

信じるところをただ一つ選べて、ただそこに全力で走って行っていたら、そんなところに感傷的になる必要もなかったのかも知れない。

右眼だけが渇くのは悪い徴候だから、またゾビラックスとアデフォスとメチコバール。

言うことを聞かない心と身体と

夜行バスが消灯したからと言って、酒もなしでこんな時間に眠れるわけがない。

リクライニングシートでは違和感が右側、顎、肩、脚の付け根、膝、くるぶしに。右半身のこれらの関節が全部脱臼しているような、緩んでいるような感じがして気持ちが悪い。可動範囲が変だ。

嗜好は様々だろうけれど

あまりにすごいので写真を撮ってしまった。なんだろう、この新しい概念提示は?ガスマスク萌え?覆面好き?今の僕にはどこに魅力を感じればよいのか全くわかりません。詳しい方、解説をお願いします。

ちぎり絵、駒送り、走馬灯

2時半過ぎに会社を出て、タクシーで外苑西通り、中原街道、綱島街道と一時間半かけて帰宅。

寝る準備をしていたらいつの間にか4時半だ。3時までは勤務しなかったから明日も朝9時には行かないと遅刻になってしまう。昔は白金にいたのに、横浜から六本木は遠い。

それにしても久々にこの時間までぶっ通しで働くとものすごく体調が悪い。昼も夜も食べそこねたからか。流れる風景の何を見ても気持ち悪い。

今夜はもう何をするのも面倒臭いから、書きたい事は明日に回そう。明日、そのまま何気なく目が覚めるといいな。

プロパガンダと現代の奴隷フレームワーク

NHKスペシャルで中国の都市部と農村部で格差が世代を超えて再生産され続けているとのルポルタージュがあった。

ある中国共産党幹部の息子は何不自由なく育ち、一流大学を出て20代半ばで会社を興し、親のコネで仕事を回してもらい会社は成長し、30歳を前にして不動産バブルに沸く天津で何億円もするマンションを買っては転がし年に5億円のアブク銭を手にする。彼の大学の同窓生の間ではこの生活は珍しくもない。

方や内モンゴルの平均的な農民は氷点下20度の冬に7歳の息子の靴の底が抜けても、150円で新しい靴を買ってはあげられない。農村には現金収入がなく多くは農地を捨て、子供を学校に預けて都市に出稼ぎに出て日雇いで死ぬ程働くが、それでも年収は10万円程度。残された子供達は、親にこれ以上苦労をかけないために運命を変えるには大学に行き知識や技術を得るしかない、と文字通り血の涙を流して勉強する。しかし、高校に通わせる時点で学費は出稼ぎ農民の年収の半分を超える。出稼ぎも競争率が高くなり続け、仕事がない日も多い。

こういった何一つ救われない番組だったが、先日経済面の隅に落ちていた経団連の発言が、これと絡んでいる気がしてならない。

いわく「企業の研修生制度で日本に来た外国人は、継続雇用を条件に8年まで在留可能とすべき」。経団連配下の企業の所謂外国人研修生がどのようなものかは公然の秘密であり、そこに求められる人材が先の出稼ぎ農民とかぶる。工場のラインの苛酷な環境で働いている期間工には、日本人を雇うなら周辺の水準より高い給与を払わねばならない。しかし研修名目で連れて来た外国人ならどれだけ買い叩いても文句は言われない。連れて来られた海外の貧困層にとっては、明日の仕事の有無を心配せずともよく、日本の水準よりは安くとも故郷では考えられない程の安定収入を仕送り出来る魅力がある。何より彼らには異国の地に逃げ場もなければ、そもそも一所懸命で逃げる気もない。

仕事をより好む自由があると勘違いしている日本人は既に淘汰され始めている。しかし、使い捨ての都合のよい労働力と扱われるのには替わりはない。都合のよい労働力と言えば、最近ますます派遣社員や契約社員の買い叩かれが激しくなっている気がする。20~30代の女性で非正規雇用の方に、フルタイムで朝から働いているのに、居酒屋やバーやスナックや、果ては風俗で夜から深夜、あるいは休日に働いている人が身の回りにあまりにも多い。いわゆる優良企業だったり子供に夢を与える企業だったりするのに、働いている本人は無駄遣いもしていないのに、一つの仕事では暮らせない。

競争原理を持ち出して自助努力の不足と言うのは簡単だけれど、そもそも全体の平均生活水準を下げ過ぎではないだろうか。圧倒的多数の貧困層が、好む好まざるに関わらず極限の効率で働く。生きてるうちに働けるだけマシと、外国人に追い立てられる危機感の醸成。見方によっては先の報道は両方プロパガンダだ。なし崩しに企業の正社員や公務員の給料も下がり続ける。痛みに耐えて国際競争力を確保するという錦の御旗のもとに。でもどこを正面に据えた何の競争かは言わない。

これはうまく出来た奴隷制度ですね。もはや詰め将棋のように。でも、僕自身、社会の心配をしている場合ではない。せめて自分とその周りだけでも上を向き続けなければ溺れてしまう。必死に、もっと上へ。

彼らの挙式・11年前の幻影

■彼らの挙式

思えば僕は、恋愛沙汰のせいで音楽活動に支障を来たしたくないとか言って、頑なにバンド内やサークル内の女性とは付き合わないようにしていた。でもまあ、今となって見れば、大学のサークルやゼミで出会って結婚に至ると言うのはごく一般的な事だ。普段からずっとそばにいるから、長所も短所も全部理解して行けるのだろう。

名古屋には複雑な思い出があるけれど、今回は本当に呼んでもらえてよかった。神前式も初めてだったし、そもそも名古屋に住んでいたこともあるのに熱田神宮も初めてだった。何よりも新郎新婦、その家族親族、そして友人一同皆が幸せそうだったのが印象に残った。普通は当たり前なのかも知れないけれど、うちの親子関係に照らすとうらやましかった。心からおめでとうを言った後に少しだけそう思った。

ああやって幸せに見えるのは、新郎新婦各々が幸福の種を持っていて、二人合わさる事でそれを育てて実らせているのかな、とぼんやり思った。まず自分がそれなりに幸せでなければならない。負のオーラに沈み続けていても、多分誰も幸せにならない。

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■11年前の幻影

その結婚式の三次会に出ると横浜まで帰れないのでホテル泊した。

せっかく名古屋まで来たので何かそこでしか出来ない事をと、前夜の二次会から合流していたMに連れられ、名古屋のM人脈の方々とカラオケへ。あの名古屋系孤高のバンドのヴォーカルさんとご友人のメタラーさん、M、僕と言うのはどういうメンツなのか。とにかく、本物のヴォーカルの方を前に歌う事があるならもっと日頃から精進しとけばよかった。やっぱりただ歌うのと本物の歌い手は全然違う。身の周りでもごく一部の人がそうだけれど、何かが決定的に違う。

失礼ながら僕は音源を自分から買って聴いていたわけではなくて、11年前に関西で組んでいたバンドで相方だったギタリストが大好きだったので知った。その彼の家で掛かっていたCDから流れていた「サイレン」を、ご本人に目の前で歌っていただけるなんてあの頃の自分達に見せてやりたい。他にも、あの頃の色々な事を思い出した。

ちなみに自分のやっていたほうのバンドは自分の中では黒歴史で、手元には写真も音源も一切残していない。参加して半年の間に一気にバンドが大きくなり、その過程で大変に揉めて流血沙汰になったり、果ては関係者の恐ろしい部分を眺める事にもなった。参加していた事実も否定していたくらいだった。

でも、僕はやっぱりその時やっていた事も好きだったんだろう。歌が、音楽が好きだったんだろう。理屈が通じなかったり、我が強い人が多かったりしたけれど、だから僕も音楽に倒れ込んでいたんじゃないか。

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数年も会わなければ人は変わる。しかし、やっぱり人の基本となる部分までは大きくは変わらないのか。たった二日間だけど何日分もたくさんの事を思い出し、何日分も何年分も考えた。結婚式でお会いした方々、月曜日にご一緒してくださった御三方、ありがとうございました。

自己否定の声

アスファルト人格形成!自己否定の声!

と歌っていたバンドが好きだったのはもう16年も前の事だ。

翻って今現在自己否定する理由は何だろう。

何年か前にも、俺や周りはお前を認めてるのにお前自身が認めなくてどうする?と、数少ない親友の一人に諭されたのを覚えている。自分が嫌いな自分を人に好いてもらおうとするのは身勝手だ。それもわかっているはずなのだけれど。

なぜか、何か自分がやりたければやりたいと思うほど、誰に止められているわけでもないのに、それはやってはならない事なのではないかと思えてくる。楽しみだった旧友に会うために家を出る時など、楽しみなのに自己否定が発動して出発が遅れ、結局は充分な時間を過ごせずに終わり、やり場のない情けなさと怒りが残る。

会社で業績を褒められても、まだもっと貢献しなければならないはずだとか、自分みたいな人間が重用されているレベルでは競合に勝てるはずもないからもっと全体を底上げしなければならない、などと答えてしまう。

誰かに褒められた時に、自分はそんな風に褒められるに値しないのになぜ褒めるのだろう、どういう理由があるのだろうと考えてしまう。失敗を赦してくれると言われた時に、本当は怒っているのを我慢しているならはっきり言ってほしいなどと繰り返し、結果本当に怒らせてしまう。自己否定の結果、自分を評価してくれた相手をも否定する。

なんて嫌な奴だ。

自信過剰だと思われたくない。口先だけの人間だと思われたくない。だから結果として嘘になる約束はできない。必ず実現すると決意していても「100%実現できる証拠を提示できるのか」と自問自答してしまい「可能な限り努力する」としか言えない。無責任にしか聞こえない。

これで大切な人を幾人も苛立たせたり怒らせたり悲しませたりしていることに、なぜかその瞬間は気付いていない。誰の得にもならないと思う。この強烈な自己否定は何だろう。

頭の中で止まない自己否定の声を消したい。どこを打ち破れば変わるのか。例えば明日のライブでこのわけのわからない感情をギターにでも叩きつけてみようか。無理矢理にでも人前で偉そうにしてみれば、何か変えられるだろうか。そこだけでも認められるだろうか。

魔法を信じるほどの信念

先日、来年の11月で弟が望んで魔法使いになると知る。彼は既に浮世の全てに対する関わりから一段身を退いているので、恐らく恙無く実現出来るだろう。確固たる信念を持ち続けられる事はその内容のに係わらず素晴らしい事だと思う。僕には真似できない。

そのくらいの信念を持ち続けて努力し続ければ、僕にとっては都市伝説でしかない、人間的な範囲で普通に働けば安定した充分な収入が得られる生活に辿り着けたりするのだろうか。

僕は何かやりたいと思う事やほしいと思う物が出来た時、その気持ちが強いほど、それはやってはいけない事ではないか、手に入れてはならない物ではないか、これは悪い欲求なのではないかという自己嫌悪のような物に苛まれる。誰も駄目だと言っていないのに。周りの人には迷惑でしょうがないだろうが、よほど強く肯定してもらえないと先に踏み出せていない。

気付いてはいたけれど、ここ数日で再認識した。なぜこんなに朝から気分が優れないのか。自信がない。とにかく何もかも全然足りない。届かないかも知れない。

半休の午後

入社して初めて、所用で午後半休を取り、14時過ぎに退勤した。

普段はこれからまだ6時間か8時間くらいは会社にいるわけで、残業が無い分午後半休の方が得であるように思う。

しかし明るい時間に帰る事には鋭い違和感を感じる。毎日8時に起きて9時に家を出、23~25時に帰宅して26~28時に寝る。例えば20時に帰宅する生活なら、24時に寝るにしても毎日2~3時間は自由な時間ができる。年に換算すると500~700時間くらいか。

昔はもっとひどかったし、少なくともこんな生活を6年以上は続けているのだから3000~5000時間が仕事に消えたわけだ。周囲の人との営みや関わり、自己研鑽や鍛練、趣味の時間、休息。そういったものを全部投げ捨てたつもりで必死で働いているつもりになって、結局僕は会社を通してお客様や社会に何を寄与して、その対価として何を得たんだろう。

夏風邪

先週辺りから夏風邪をひいてしまったようだ。鼻水とくしゃみが続き息苦しい。午前中には腹痛もある。ホワイトボードに「Hook2」と書いておいたが誰にも何も伝わらなかった。

気温も湿度も高く、会社の冷房も効いていないので、熱があるのかどうかもよくわからない。鼻の中に異物感がある。右から左に棒が刺さっている感じ。

眠りが浅いから抵抗力が落ちていそうな予感。かと言って、食事制限は解除したくない。堂々巡り。