「喪失」で少し触れた失った人物について、色々と考えた結果、一つの結論に至った。
初めて彼に会ったのは 7 年前の夏のことだった。
その前の年に会社を立ち上げたと聞いた頃からメールのやり取りはしていたものの、実際に会ってみると彼は思っていたよりもずっと大人だった。少なくとも僕にはそう見えて、およそ彼には隙がなかった。彼は今の僕と同じ歳で社長になったわけだが、会社を立ち上げてから 1 年の間に周囲に揉まれて、嫌でもそうならざるを得なかったのだと思う。
当時学生だった僕は、将来の職として考えていた業界の先達である彼に、折に触れ技術的な相談を持ちかけるようになった。多忙だからか返信は遅かったものの、現場からの確かな内容の返信をもらうことを重ね、僕は彼を信頼するようになった。
2000 年の 7 月、彼の会社の東京事務所が立ち上げられる計画が持ち上がった。10代の頃からの知人(前の会社の東京事務所長、かつ今の会社の立ち上げ時に同時に参加したシステム営業担当者)もその立ち上げに誘われていた。その人も当時別の業界でかなり有能な営業担当者として全国を飛び回っていたが、スピンアウトして新事業立ち上げを行うという。当時院試との掛け持ちで全く進んでいなかった就職活動の中、8 月 20 日、ひとまず僕はその新営業所立ち上げの内定を得た。
結局 50 社あまりを受けたけれども、他の会社に内定をもらうことは出来なかった。学校推薦に頼らず一般応募ばかりを受け続けたことが敗因だったのかもしれない。ただ、想定年俸プランを見る限りでは、他の会社に行くよりもずっと将来の可能性があるように思えたので、開拓心に燃えていた。
その後上京し、2001 年 4 月入社。自分の机を組み立てる所から始まる仕事。いきなり名古屋で 2 ヶ月間研修になるという想定外の出来事はあったけれど、会社のことを無計画だとは思わず、仕事はそういうものだろうと思っていた。概要だけ示されたパンフレットを元に仕様を想像して物を作る作業にも慣れ、いつからか土日も休めなくなり、会社に泊まりこむ日々が始まった。それでも売上が次期の給料に跳ね返ってくる事を頼りに、必死で頑張った。
当初 3 ヶ月で給料が見直されるということだったが、結局給料が見直されたのは 13 ヶ月目のことだった。それは当初のモデルプランの昇給とは全く異なるものだった。僕の売上が見込みより少なかったのかもしれない。この頃から、社の運営は厳しくなっているように見えた。なぜか借金の額が増大し、僕が昇給した分、他の社員の給料は下がっていた。仕事はますます忙しくなり、開発担当は毎月人月の 3 ~ 4 倍の売上を上げるようになった。売りが立たない月でも、修正などで同じ程度の工数を稼いでいた。しかし、幾ら努力しても会社の運営はますます傾いているように感じられた。それについては、彼から直々に海外企業に対する M & A を行うための投資や、海外企業の製品の買収・ローカライズ権取得費用によるものであると言う説明がなされた。彼は当時、毎週のように海外に出張に行っていたことからその説明は納得できるものだった。
しかし結局その海外の相手先企業は破綻した。時を同じくして給料の遅配や無配が続くようになった。いつしか取引銀行から手形帳を取り上げられ、総務は社員の給料を払うために商工ローンや果ては消費者金融までを駈けずり回っていたという。そして総務部長が突然失踪し、昨年 9 月に 2 年半勤めたその会社が破綻する直前には、借金取りが東京事務所に押しかけることを防ぐため、電話には出ず、夕方からは灯火管制のように暗闇で仕事をするようなことを経験した。しかし、それでも僕はそれは経営努力の結果、単に不運であったがために起こった結果だと信じていた。
会社が破綻した後、僕はその会社の本社のコアメンバーが業務引継ぎのために立ち上げた新たな会社と契約して東京で仕事を続けることになった。人数が激減したにも関わらず、旧会社の全ての業務を引き継いでいたため仕事は多忙を極め、本当に死んでしまうのではないかと自分で心配するようになった。命がなくては仕事は出来ないので、顧客に何とか譲歩してもらえないかと依頼する。その中で、僕は次第に彼の本当の姿を知ることとなる。
彼は全社員の給与総額に匹敵する額をほぼ毎月私用に使っていた。彼はアジアに海外出張に行っていたのではなく、その日程で愛人とヨーロッパに旅行に行ったりしていた。社員が稼いだ売上をどのように使うのかは社長の自由かもしれない。しかし、会社で借金をしてまで私用に費やしている社長を知らず、文字通り命を賭けて働いていた我々のこの数年間は何だったのか。社員を騙し、役員を騙し、監査法人を騙し、協力会社や取引先を騙し、そこまでして彼がしたかったことがどうしても理解出来なかった。初めから裏切られていたことを知ったとき、とてつもなく大切なものを失ったと感じた。
そして、しばらく考えてやっと気が付いた。文字通り、僕が信じていた彼と言う人間は初めからいなかったのだ。僕が感じたどうしようもない喪失感は、彼との決別に対してでなく、その虚像を見て過ごした時間に対するものだったのだろう。自分が人を信用するということがここまで根拠のないものだと判っただけでも収穫だった。
失った人間関係とそれに引きずられた時間を思い悩むよりは、これから先のより真っ当な人生について考えるべきだ。僕にはまだ少し、その時間はある。