自己否定の声

アスファルト人格形成!自己否定の声!

と歌っていたバンドが好きだったのはもう16年も前の事だ。

翻って今現在自己否定する理由は何だろう。

何年か前にも、俺や周りはお前を認めてるのにお前自身が認めなくてどうする?と、数少ない親友の一人に諭されたのを覚えている。自分が嫌いな自分を人に好いてもらおうとするのは身勝手だ。それもわかっているはずなのだけれど。

なぜか、何か自分がやりたければやりたいと思うほど、誰に止められているわけでもないのに、それはやってはならない事なのではないかと思えてくる。楽しみだった旧友に会うために家を出る時など、楽しみなのに自己否定が発動して出発が遅れ、結局は充分な時間を過ごせずに終わり、やり場のない情けなさと怒りが残る。

会社で業績を褒められても、まだもっと貢献しなければならないはずだとか、自分みたいな人間が重用されているレベルでは競合に勝てるはずもないからもっと全体を底上げしなければならない、などと答えてしまう。

誰かに褒められた時に、自分はそんな風に褒められるに値しないのになぜ褒めるのだろう、どういう理由があるのだろうと考えてしまう。失敗を赦してくれると言われた時に、本当は怒っているのを我慢しているならはっきり言ってほしいなどと繰り返し、結果本当に怒らせてしまう。自己否定の結果、自分を評価してくれた相手をも否定する。

なんて嫌な奴だ。

自信過剰だと思われたくない。口先だけの人間だと思われたくない。だから結果として嘘になる約束はできない。必ず実現すると決意していても「100%実現できる証拠を提示できるのか」と自問自答してしまい「可能な限り努力する」としか言えない。無責任にしか聞こえない。

これで大切な人を幾人も苛立たせたり怒らせたり悲しませたりしていることに、なぜかその瞬間は気付いていない。誰の得にもならないと思う。この強烈な自己否定は何だろう。

頭の中で止まない自己否定の声を消したい。どこを打ち破れば変わるのか。例えば明日のライブでこのわけのわからない感情をギターにでも叩きつけてみようか。無理矢理にでも人前で偉そうにしてみれば、何か変えられるだろうか。そこだけでも認められるだろうか。

それは高くて遠い滝のようで

うちからほんの50mほどのところに薬局が出来て薬剤師を募集している。

あと何年か前に開店していたなら、きっと僕と僕らの人生はまた何か違っていただろう。

何年か前に Walking Tour という FLASH が流行った。

http://www.geocities.jp/saparan/walkingtour.html

当たり前のようにそこにいる人と、当たり前のように話せるのは、同じ歩幅で同じ方向に歩いてくれているからで、どちらかが足を止めたり方向がずれたりするとすぐに見失ってしまう。

Life is like a river と世に言うけれど、川なら泳いで戻ればいい。

でも本当はいつかのタイミングで、あの世界遺産の高い高い滝のように、滝つぼに落ちる前に霧になってばらばらに空に舞って離れていってしまう。あざなえる縄が解けたら片方だけになるのかもしれない。

全部僕が悪いとしても、全部自分の責任で何とかする。諦めるのではなく受け入れて、それでもなお最善を尽くす。まずはそこから償っていこう。

魔法を信じるほどの信念

先日、来年の11月で弟が望んで魔法使いになると知る。彼は既に浮世の全てに対する関わりから一段身を退いているので、恐らく恙無く実現出来るだろう。確固たる信念を持ち続けられる事はその内容のに係わらず素晴らしい事だと思う。僕には真似できない。

そのくらいの信念を持ち続けて努力し続ければ、僕にとっては都市伝説でしかない、人間的な範囲で普通に働けば安定した充分な収入が得られる生活に辿り着けたりするのだろうか。

僕は何かやりたいと思う事やほしいと思う物が出来た時、その気持ちが強いほど、それはやってはいけない事ではないか、手に入れてはならない物ではないか、これは悪い欲求なのではないかという自己嫌悪のような物に苛まれる。誰も駄目だと言っていないのに。周りの人には迷惑でしょうがないだろうが、よほど強く肯定してもらえないと先に踏み出せていない。

気付いてはいたけれど、ここ数日で再認識した。なぜこんなに朝から気分が優れないのか。自信がない。とにかく何もかも全然足りない。届かないかも知れない。

半休の午後

入社して初めて、所用で午後半休を取り、14時過ぎに退勤した。

普段はこれからまだ6時間か8時間くらいは会社にいるわけで、残業が無い分午後半休の方が得であるように思う。

しかし明るい時間に帰る事には鋭い違和感を感じる。毎日8時に起きて9時に家を出、23~25時に帰宅して26~28時に寝る。例えば20時に帰宅する生活なら、24時に寝るにしても毎日2~3時間は自由な時間ができる。年に換算すると500~700時間くらいか。

昔はもっとひどかったし、少なくともこんな生活を6年以上は続けているのだから3000~5000時間が仕事に消えたわけだ。周囲の人との営みや関わり、自己研鑽や鍛練、趣味の時間、休息。そういったものを全部投げ捨てたつもりで必死で働いているつもりになって、結局僕は会社を通してお客様や社会に何を寄与して、その対価として何を得たんだろう。

グローランプ、ブルーランプ

レイハラカミ氏なんて今でもSC88-proだけでやってるのだから、道具のせいにするのは筋違いだ。

根本の何かが違う。

魂が弱っていると、手足の末梢や、かつて麻痺した顔の右半分には光が届かないようだ。だから、眠っている間は溶ける。

ハロ

髪を切った。

仕事帰りに自画撮りしたらこんな風に写った。

亡くなった人たちは、僕らを取り巻くハロとして、そこに今でもいるんだろうか。

いつか僕もそれに混ざって、滲みながら風景に、背景に消えていくんだろうか。

もしかしたら、

かつての僕の幾分かは、

もうそっちに行ってしまっているのだろうか。

だとしたらカートが意味を馬鹿にしてハロに投げかけた言葉も無駄ではなかった。そして彼もそこにいる。

今日はとても暑かった。それこそ肌を焼くように。僕は少しだけここにもいた。

そんな事を思った昨日、6日は黙祷の日。深夜0時を過ぎても蝉は鳴く。

馬と棒と縄と僕

砂地にボロボロの筵が敷いてあり、変な色のまだらな馬が横倒しになっている。

棒を持った男が、それは病死して腐った馬だと言う。僕は殴り倒され、馬と一緒に筵に巻かれ、砂煙を上げながら引きずられてゆく。他にも多くの人が同じように引きずられてゆく。

着いた先では天井から絞首用の縄が下がっている。向こうから「同志、万歳!」と叫ぶ声が聞こえ、床が抜ける音がして一人ずつ首を括られてゆく。

もうすぐ僕の番だ。

夏風邪

先週辺りから夏風邪をひいてしまったようだ。鼻水とくしゃみが続き息苦しい。午前中には腹痛もある。ホワイトボードに「Hook2」と書いておいたが誰にも何も伝わらなかった。

気温も湿度も高く、会社の冷房も効いていないので、熱があるのかどうかもよくわからない。鼻の中に異物感がある。右から左に棒が刺さっている感じ。

眠りが浅いから抵抗力が落ちていそうな予感。かと言って、食事制限は解除したくない。堂々巡り。