夜行バスが消灯したからと言って、酒もなしでこんな時間に眠れるわけがない。
リクライニングシートでは違和感が右側、顎、肩、脚の付け根、膝、くるぶしに。右半身のこれらの関節が全部脱臼しているような、緩んでいるような感じがして気持ちが悪い。可動範囲が変だ。
今年に入って会社から姿を消す人が身近に多い。
独立した先輩、転職した同僚、勉強したい後輩、志半ばに夭逝した後輩。
当たり前に顔を合わせていても、それがあと何回あるかなんてわからない。明日の準備をして寝ても、そのまま起きて来ない人もいる。往々にして人は失ってから後悔するけれどそれほど虚しい事は他にはない。生き別れだとしても、最後に変な印象を与えると誤解されたままになる可能性がある。ひとつひとつの今日を後悔しないよう最善を尽くすよう努力し続けなければ。
そういえば実家を出て12年半になる。一年に多くても3日くらいしか帰らないのだから、両親が90くらいまで生きてもあと100回くらいしか会わないのか。思った以上に残り少ない。無駄な軋轢はやめて、たまにはせめてある程度マシな雰囲気で過ごせればと思った。
同じようにまた朝が来る。たまには色々考える。駒として生きる意味とか考える。
ちょっと特定の人に限った話になってしまうけれど。
「ひぐらしのなく頃に」の原作のBGMから僕を知った人でこのエントリーを読まれている方はいらっしゃいますか? 例えばニコニコ動画で、こういった原作出題編MADでは半分ほどの曲が僕が書いたものだったりします。
顔も知らない誰かに神だなんて言ってもらえるとは全然思っていませんでした。10年とか前に書いた曲を、2004年になって流してもらって、そして2007年のMADで。こうやって、何年も経っても、まだ僕の曲を評価してくれている人があることを本当に感謝しています。
でもまあ、やっぱりというかなんと言うか自分の箇所は音が割れている。竜騎士07さんから連絡が来た時に名古屋に出張に出ていて、自分で満足なオーディオ音源を渡せず完全に任せてしまったのが響いているのかなと思う。もちろん竜騎士07さんが悪いんじゃなくて自宅を離れて一度も帰らず何ヶ月も過ごしてた僕が悪いんだ。でも、割れてるから怖いという話もあるので、それで結果オーライだったのかもしれない。割れていたからこそその後あれだけの人が集結して一大コンテンツになったのかもしれない。
色々運命はあるんだけど、少なくとも竜騎士07さんに声をかけていただいたのは本当に幸運だった。ひぐらしの親の一人とか言っていただけたのは本当に光栄な話です。それで僕は自惚れてるのかも知れないけど、変えられない過去の一部がそうであった。それでいいじゃないか。
最近の歌物を録っている活動とは別に、昔のフリー素材で出していた曲も、人気が高いものから集めてCDにまとめたりもしていきたいと思います。
NHKスペシャルで中国の都市部と農村部で格差が世代を超えて再生産され続けているとのルポルタージュがあった。
ある中国共産党幹部の息子は何不自由なく育ち、一流大学を出て20代半ばで会社を興し、親のコネで仕事を回してもらい会社は成長し、30歳を前にして不動産バブルに沸く天津で何億円もするマンションを買っては転がし年に5億円のアブク銭を手にする。彼の大学の同窓生の間ではこの生活は珍しくもない。
方や内モンゴルの平均的な農民は氷点下20度の冬に7歳の息子の靴の底が抜けても、150円で新しい靴を買ってはあげられない。農村には現金収入がなく多くは農地を捨て、子供を学校に預けて都市に出稼ぎに出て日雇いで死ぬ程働くが、それでも年収は10万円程度。残された子供達は、親にこれ以上苦労をかけないために運命を変えるには大学に行き知識や技術を得るしかない、と文字通り血の涙を流して勉強する。しかし、高校に通わせる時点で学費は出稼ぎ農民の年収の半分を超える。出稼ぎも競争率が高くなり続け、仕事がない日も多い。
こういった何一つ救われない番組だったが、先日経済面の隅に落ちていた経団連の発言が、これと絡んでいる気がしてならない。
いわく「企業の研修生制度で日本に来た外国人は、継続雇用を条件に8年まで在留可能とすべき」。経団連配下の企業の所謂外国人研修生がどのようなものかは公然の秘密であり、そこに求められる人材が先の出稼ぎ農民とかぶる。工場のラインの苛酷な環境で働いている期間工には、日本人を雇うなら周辺の水準より高い給与を払わねばならない。しかし研修名目で連れて来た外国人ならどれだけ買い叩いても文句は言われない。連れて来られた海外の貧困層にとっては、明日の仕事の有無を心配せずともよく、日本の水準よりは安くとも故郷では考えられない程の安定収入を仕送り出来る魅力がある。何より彼らには異国の地に逃げ場もなければ、そもそも一所懸命で逃げる気もない。
仕事をより好む自由があると勘違いしている日本人は既に淘汰され始めている。しかし、使い捨ての都合のよい労働力と扱われるのには替わりはない。都合のよい労働力と言えば、最近ますます派遣社員や契約社員の買い叩かれが激しくなっている気がする。20~30代の女性で非正規雇用の方に、フルタイムで朝から働いているのに、居酒屋やバーやスナックや、果ては風俗で夜から深夜、あるいは休日に働いている人が身の回りにあまりにも多い。いわゆる優良企業だったり子供に夢を与える企業だったりするのに、働いている本人は無駄遣いもしていないのに、一つの仕事では暮らせない。
競争原理を持ち出して自助努力の不足と言うのは簡単だけれど、そもそも全体の平均生活水準を下げ過ぎではないだろうか。圧倒的多数の貧困層が、好む好まざるに関わらず極限の効率で働く。生きてるうちに働けるだけマシと、外国人に追い立てられる危機感の醸成。見方によっては先の報道は両方プロパガンダだ。なし崩しに企業の正社員や公務員の給料も下がり続ける。痛みに耐えて国際競争力を確保するという錦の御旗のもとに。でもどこを正面に据えた何の競争かは言わない。
これはうまく出来た奴隷制度ですね。もはや詰め将棋のように。でも、僕自身、社会の心配をしている場合ではない。せめて自分とその周りだけでも上を向き続けなければ溺れてしまう。必死に、もっと上へ。
日曜深夜に久々にタケルさんとギターを弾く。タケルさんは褒めてくれたけれど、相変わらず僕には何かが足らない。押しすぎたり引きすぎたり、空気が読めていないのか。ブルースにはまだ若すぎる。
住んでいる築35年のマンションで原因不明のガス漏れがあったらしく、異常のない場所を含め全館で緊急点検と補修。下手に手抜き工事された新しい建物よりも、ある意味今後は安心できる。
相変わらずひどい夢を見た。割れガラスと青色スプレーの暗闇で、強盗を廃墟で殺害するサイバーパンク。何かしら叫んで目覚めたので、起き抜けに少し声が枯れていた。
デスボイスのシャウトを日本語の文章に入れたい時、どんな表記にすれば伝わるのだろうとか、どうでもよい事を思う。
■彼らの挙式
思えば僕は、恋愛沙汰のせいで音楽活動に支障を来たしたくないとか言って、頑なにバンド内やサークル内の女性とは付き合わないようにしていた。でもまあ、今となって見れば、大学のサークルやゼミで出会って結婚に至ると言うのはごく一般的な事だ。普段からずっとそばにいるから、長所も短所も全部理解して行けるのだろう。
名古屋には複雑な思い出があるけれど、今回は本当に呼んでもらえてよかった。神前式も初めてだったし、そもそも名古屋に住んでいたこともあるのに熱田神宮も初めてだった。何よりも新郎新婦、その家族親族、そして友人一同皆が幸せそうだったのが印象に残った。普通は当たり前なのかも知れないけれど、うちの親子関係に照らすとうらやましかった。心からおめでとうを言った後に少しだけそう思った。
ああやって幸せに見えるのは、新郎新婦各々が幸福の種を持っていて、二人合わさる事でそれを育てて実らせているのかな、とぼんやり思った。まず自分がそれなりに幸せでなければならない。負のオーラに沈み続けていても、多分誰も幸せにならない。
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■11年前の幻影
その結婚式の三次会に出ると横浜まで帰れないのでホテル泊した。
せっかく名古屋まで来たので何かそこでしか出来ない事をと、前夜の二次会から合流していたMに連れられ、名古屋のM人脈の方々とカラオケへ。あの名古屋系孤高のバンドのヴォーカルさんとご友人のメタラーさん、M、僕と言うのはどういうメンツなのか。とにかく、本物のヴォーカルの方を前に歌う事があるならもっと日頃から精進しとけばよかった。やっぱりただ歌うのと本物の歌い手は全然違う。身の周りでもごく一部の人がそうだけれど、何かが決定的に違う。
失礼ながら僕は音源を自分から買って聴いていたわけではなくて、11年前に関西で組んでいたバンドで相方だったギタリストが大好きだったので知った。その彼の家で掛かっていたCDから流れていた「サイレン」を、ご本人に目の前で歌っていただけるなんてあの頃の自分達に見せてやりたい。他にも、あの頃の色々な事を思い出した。
ちなみに自分のやっていたほうのバンドは自分の中では黒歴史で、手元には写真も音源も一切残していない。参加して半年の間に一気にバンドが大きくなり、その過程で大変に揉めて流血沙汰になったり、果ては関係者の恐ろしい部分を眺める事にもなった。参加していた事実も否定していたくらいだった。
でも、僕はやっぱりその時やっていた事も好きだったんだろう。歌が、音楽が好きだったんだろう。理屈が通じなかったり、我が強い人が多かったりしたけれど、だから僕も音楽に倒れ込んでいたんじゃないか。
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数年も会わなければ人は変わる。しかし、やっぱり人の基本となる部分までは大きくは変わらないのか。たった二日間だけど何日分もたくさんの事を思い出し、何日分も何年分も考えた。結婚式でお会いした方々、月曜日にご一緒してくださった御三方、ありがとうございました。
ジャコ・パストリアス20回忌に、彼の最後のバンドの日本公演のライブ映像を見る。今見ても驚くほど斬新だ。
ジャコが凄いのはもちろんだが、周りを固めているメンバーも凄まじすぎる。特にチューバとスチールドラムは何なのだ。稀に見る素晴らしいバンドだ。
良い音楽の演奏には技術は必ずしも必要ではないと言う人も多い。でも、例えばギターボーカルを目指すだけでも、歌と両手は完全に独立するまで熟練しなくてはならない。インプロビゼーションをするならメロディとハーモニーとリズムも考えなければならない。それをインタープレイでこなすのはかなり大変だ。単に個人の技術が要るのか要らないかを議論するのは不毛だろう。自分が出来る事の上にどれだけ有機的な繋がりを持てるかどうかで格好よさが決まるはずだ。
今でも身の回りのキャリアの長い方やセンスの良い方から、演奏を通して何かを学び続けている。僕が先達を見て育ったように、後輩等に何かを伝えて行けたなら、それこそが集合知になりうるのではなかろうか。
というわけでセッションやヘルプには積極的に参加したいと思うので、興味のある方々は呼んでみてください。