惰性

一度立ち止まってしまうと、次に歩き出さなければならないときに身の回りに壁を発見する。
okatch 氏の It really hurts へのコメントでも書いたけれど、表現することを一度休んでしまうと次に再開するときの閾値が上がってしまい、そのまま殻にこもったままになりがちだ。
登校拒否児童はこんな気持ちだったのかな、と今さら思う。
そう思ったが吉日で始めてはみた。
きっと、身の回りでどんどん blogger が増えていくのを目の当たりにしているのは大きい。
ネタの数や文章に込められるウィットは望むべくもなく、raison d’etre (レゾンデェトル) とか恰好をつけるつもりもないけれど、惰性で生きている毎日に刻み目を入れて、自分の立ち位置を思い出してみるためのツールとしてしばらく使ってみようかと思う。

いつか終わる日々のために

「門松は 冥土の旅の 一里塚」と、のたまったのは一休禅師だったか。
自分探しは終わった。
出来ることは限られている。
今さら寄り道をしている場合じゃないんだ。
判っているはずなのに、なぜ無駄なことを考えるんだろう。
僕が動くことで他人に迷惑をかけたら、どうやって責任をとればいいんだろう、とか。
馬鹿馬鹿しい。
自分の意志と他人の意向を天秤にかけたつもりになっていた。
他人に一度かけた迷惑を、何かと相殺して取り返すことができると思っていた。
初めから関係なかったと思えば、そこに帰ることもできたのだと思う。
でも、たまたま危ういバランスで成り立っているその状態を乱すことで、元々のそれよりさらに悪い状態になることを恐れて、僕は立ち止まることにした。
眠らずに今日をいつまでも続けていれば、少しは立ち止まっていられる気がした。
睡眠不足で呂律が回らなくなったとしても、それはそれで笑ってもらえるかもしれない。
僕は自分の意志で、毎日堂々巡りする生活を始めることにした。
サンプルされたその日のループは一種類だったので、明日が来る意味はなかった。
そもそも、たとえどこかに向かって歩いていたとしても、その先には何かあったんだろうか。
もしかして、ずっと立ち止まっていたらループの終わりが見えるのかもしれない。
また、朝が来る。

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