カレーの出前

13日の日曜日に、やむを得ない事情により「俺にカレーを食わせろ」と絶叫した手前、ポストに入っていたチラシの業者にカレーの出前を頼んでみた。
3年ほど前に以前勤めていた会社で、夜食にカレーの出前を頼んだことがあるが、1500円も取る癖に金属が舌に突き刺さるような奇妙な辛さの非常に不味いカレーで社員一同激怒した覚えがある。それ以来、カレーの出前にはあまり良い印象がなかったが、今回は925円なので外れてもまあ許せるかと思う値段だ。
カレーは本来食べただけでナチュラルハイになるほど辛くあるべきだと考えている僕としては、「メガトン級の辛さの為、お子様、辛さに弱い方はご遠慮ください」とかかれているスーパーホットカレーなるメニューを選んだ。なかなか上品な香りだ。
香りはそう辛そうでもなかったが、口に入れて2秒ほど経つと、おそらくハバネロペッパーかと思われる激烈な辛さで顔が真っ赤になり汗が吹き出た。確かに強烈だ。普通の人が間違ってこれを頼んで食べた日にはパイ投げよろしく豚の顔に投げつけたくなるくらい辛い。ご丁寧なことにミネラルウォーターがサービスで付いてきていた。しかし、僕のカレー師匠曰く、カレーを食べている途中に水を飲んではならないとのことなので、その水は飲まずに黙々と食べた。
味はさすが専門店といった感がある。ただ辛いだけではなく香りはかなりまろやかなので、複雑な後味が楽しめた。出前のカレーとしてはかなり上出来な方ではなかっただろうか。

Caught in a web

ごく稀に、出会った日からその人のことを昔から知っていたような気がすることがある。デジャヴのようなものだろうか。数えるほどしか経験は無いけれど、実際に相手も同じように感じていたりするから、あながち僕だけの思い込みでもないかと思う。
そういう人とは少し話すだけでも考えていることが似ていることに気が付いたりするので、僕はどんどん気持ちが先走ってしまう。僕は基本的に他人の事は疑ってかかる性格だけれど、そういう人に対しては一切の防御を解いてしまう。そして、今の自分と相手の置かれた状況で、僕が相手に対して寄与できることは何か、と考え始めるのにそう時間はかからない。

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シーソーとマゾヒスト

このところの僕はかなり幸せ者だと思う。
誰かと何かを共有すること、誰かと理解しあえること。
そんなことに包まれて過ごしていける毎日は少なからず充実している。
この間までの落ち込みっぷりがある意味嘘のように。
でも、これだけ幸せな日々が続けばいつか揺り戻しが来るのだろうと考えてしまう。幸せである期間が続けば続くほど、反対に振れる事が恐ろしくなる。
物事が成功し続けることは絶対になくて、トータルで見ればおそらく 0 に近づく。僕の場合はややマイナスよりな気がする。あの人が言っていたのと同じように、僕も他の誰かの暗い部分を吸収して生きている気がするから。
それでも、僕に負の部分を投影することで誰かが楽になってくれるのなら、僕はそれを食べて生きていこうと思う。これまでもそうだったし、これからもきっとそうなんだと思う。それを糧にして、いずれ命が終わるまでの毎日のカウントダウンを過ごして行けば、きっと誰かが幸せになるし、僕もきっと飢え死にすることもない。毎日辛いことが多過ぎるから人は病んで苦しんでいくけれど、痛みや苦しみは耐性の強い人間が引き受けていった方が健康な世界が生まれる気がする。一旦引き受けたものはできるだけ完全に消化して、愚痴や文句はなるべく言わないようにしようと思う。

Reveillez-nous!

目標も教えられずにただ走れと言われてみたり、周囲が走っているからと言って焦って無駄に走らされたり、遠くに見える目標に向かい、手前が海であろうと崖であろうと直線でひた走ってみたり。そんな我々の姿は、ドブネズミやレミングの群れに見えはしないだろうか。
rat race とはよく言ったものだ。我々はそんな悪循環から抜け出す努力をしなければならない。気が付いた瞬間に行動に移さないと、もう手遅れなのだ。

日常の救急車

某バンドのキーボードボーカルと一緒に夕食を食べた後、店を出て歩いていたら彼女は意識不明になって倒れた。その後に僕は仕事の予定は入っていたのだが、本人が意識不明で救急車を呼んだので付き添って病院に行かなければならなかった。とりあえず、さっき意識が戻ったので帰ってきて、これからゆうべの分の仕事を始める。
倒れた原因は不明だという。彼女が救急車に乗るのは今年の元旦から数えて 7 回目だ。毎回原因が不明なので根本的な解決はしない。そういう人はしっかりと入院して精密検査をすべきだと思うのだが、本人がそうする意思があっても受け入れてくれる病院がない。結局、犯罪に対する警察と同じで、何か大変な症状が出てからではないと検査を積極的にしてはくれないのかも知れない。
昨年から 20 回ほど、こうやって深夜にタクシーや救急車で病院に行っているので、地元の救急隊や救急病院とすっかり顔見知りになってしまった。あと、目の前で倒れる人を見て冷静に応急措置が出来るようになったのは、僕にとっては危機管理という意味では良いことなのかも知れない。
だけど、こんな日常というのは何だかなあ。

眠れない夜、変わらない朝

僕は何を生き急いでいるんだろう。
今夜も一睡も出来なかった。それほど急ぐべきことがあるわけでもないのに、そういう日くらい普通に寝れば良いのに、何かしていないと不安でしょうがなくて眠れなかった。仕事が進むのはよいことだけれど。
今週は二徹が 2 回、その間の日も全部 3 時間程度しか寝ていないのに眠れない理由はさっぱり判らないけれど、もしかして僕にはもうあまり時間なんて残ってはいないのではないかと、ぼんやり考える。

外貨投資

今月に入ってから、人生で何番目かに高い買い物であろう生命保険に加入した。
7社から説明を聞き考えに考えた結果、僕の出した結論は P 社だった。65歳払込済の終身医療保険+ドル建て終身保険、それに加えて60歳までの家族収入保険という形になった。普通の人は保険は 10 年とか 15 年とかの定期物に入って、更新のたびにほぼ倍額の保険料を払うようになるものだが、この時代に年功序列で給料が上がるとも思えない。僕が選んだタイプは一生保険料は変わらない。また、医療保障や死亡保障は生涯続くものの、保険料のほとんどを60歳で払込済とする形にした。当面の負担はやや大きいけれど、未来への貯金として考えれば悪くはないだろう。ただし、僕がそれほど長生きするかどうかは知らない。
終身保険にドル建てを選んだ理由としては、しばらくはアメリカの失政によってドル安が続くだろうから円ベースでの保険料が安くつくことと、数十年の長期スパンで見れば亡国の宰相が巣食う日本円よりも世界通貨の一翼を担うドルを資産として持っている方が安定感がありそう、というところ。別にアメリカを買っているわけではなくて、ダメ同士の比較をしてまだマシだと思っているに過ぎない。日本政府の一挙手一投足は、全てにおいて危機感が足らないとしか思えない。
そんなわけで近々日本やアメリカでのテロが予測されていることもあり、今月から積立用の定期預金はユーロ建てにした。やり過ぎかもしれないけれど、何か起きてからでは遅いのでとりあえず防御線を張ってみた。他に外貨預金や外貨保険の実績がある人がいれば、意見を聞いてみたいところ。