歌うように縋るように

今年に入って会社から姿を消す人が身近に多い。

独立した先輩、転職した同僚、勉強したい後輩、志半ばに夭逝した後輩。

当たり前に顔を合わせていても、それがあと何回あるかなんてわからない。明日の準備をして寝ても、そのまま起きて来ない人もいる。往々にして人は失ってから後悔するけれどそれほど虚しい事は他にはない。生き別れだとしても、最後に変な印象を与えると誤解されたままになる可能性がある。ひとつひとつの今日を後悔しないよう最善を尽くすよう努力し続けなければ。

そういえば実家を出て12年半になる。一年に多くても3日くらいしか帰らないのだから、両親が90くらいまで生きてもあと100回くらいしか会わないのか。思った以上に残り少ない。無駄な軋轢はやめて、たまにはせめてある程度マシな雰囲気で過ごせればと思った。

同じようにまた朝が来る。たまには色々考える。駒として生きる意味とか考える。

それは高くて遠い滝のようで

うちからほんの50mほどのところに薬局が出来て薬剤師を募集している。

あと何年か前に開店していたなら、きっと僕と僕らの人生はまた何か違っていただろう。

何年か前に Walking Tour という FLASH が流行った。

http://www.geocities.jp/saparan/walkingtour.html

当たり前のようにそこにいる人と、当たり前のように話せるのは、同じ歩幅で同じ方向に歩いてくれているからで、どちらかが足を止めたり方向がずれたりするとすぐに見失ってしまう。

Life is like a river と世に言うけれど、川なら泳いで戻ればいい。

でも本当はいつかのタイミングで、あの世界遺産の高い高い滝のように、滝つぼに落ちる前に霧になってばらばらに空に舞って離れていってしまう。あざなえる縄が解けたら片方だけになるのかもしれない。

全部僕が悪いとしても、全部自分の責任で何とかする。諦めるのではなく受け入れて、それでもなお最善を尽くす。まずはそこから償っていこう。

抑鬱の度合い

経験してみて初めてわかったこと。
日記だの詩だので死にたいとか鬱だとか言える時は寧ろ大したことはない。本当にひどい時には外向きに表現することなどできない。風呂に入る気力もなければ飯を食う気力もなく、自分が鬱だとも気付かず、ただただ時間が盗まれる。深夜になって、また一日何も出来なかった事に自己嫌悪する。
何も出来なかった数ヶ月とここ数日の違いが何なのかはわからないけれど、急に鈍っていた感覚の霧が晴れたように感じる瞬間はある。
活動する意欲が湧く反面、悲しい事も強く感じるようになった。ちょうど13ヶ月前にこの感覚を理解出来ていたら、きっと違った共感を得て、多分少し違った人生になっていただろう。長年先達が必死で格闘してきた凄さに今まで気付かなかった蒙昧さが、僕のこの人生を形作ってしまったんだろう。

残り香

また来た夏。3ヶ月ぶりに髪を切った。後ろ髪約15cm。ここ数年縮毛矯正をする関係で美容院的なところに行っている。店長に彼女は来ないねと突然言われた。あの子はもう来ないだろうと伝えた。
梅雨はまだ明けず、食中毒になると脅されながらも行った寿司屋で何も言わずガリを2つ出された。空席待ちの紙にも1人と書いたのに、この1年もう何度も行っていたのに、板さんから「あれ?今日は1人なの」と尋ねられた。満員なのに隣の席はなかなか埋まらなかった。
今日は、大倉山を歩いている背後や右手の向こう側に、あの子の姿が皆に見えてしまう日らしい。
小雨の中傘を指さずに歩いた時、マンションの帰り道、ビルの入り口で首が妙に温かかったのは何かそのせいだろうか。何度雨が降り、人が消えた痕跡を何度流しても、人の心には残り香が漂い続けるのか。

夢の風景 (13)

部屋で仲良く話していても、すぐ些細な事で喧嘩になってしまう。
『ここは私のいる場所じゃないんだ』と言って部屋を走り出る君を追い掛けて、冬の朝の切れる寒さの中、マンションの廊下や周りを走り回って捜した。
去年の春に包丁で首を切って飛び降りようとした屋上に続く非常階段にも、夜中に立て篭もった公園の隅にもいなかった。
部屋に戻り、玄関を開け放して待つ。ここはとても寒い。

去年の今頃は

去年は年末年始の5日間、ずっとシステム監視のために自宅待機だった上に、元旦から熱を出して寝込んでいて、NHKニュースになるほどの大規模事故の対応もできなかった。看病してくれたみさにまで風邪をうつして散々だった。三日の夜に我慢できずに飲みに出かけて、さらに風邪をこじらせたりもした。
今年は前年度の轍を踏まぬよう、年末年始は当番制になった。30日から正月3日までずっと当番になった。会社を休んで部屋に5日間いても、まだ消灯して眠ることすら出来ないのだから、ただ辛いだけだったろうし、働いていればそれに集中できる。

夢の風景 (12)

やっと夢に出て来てくれた君は、例のParsonと書かれたトレーナーの上下を着て、あの時のように布団に俯せに寝ていた。
しばらくぶりに聞いた君の言葉は『起き上がれなくて済まないだ』だった。謝るべきはむしろ僕の方だし、永遠に許してもらえないとすら思っていた。謝らなくていい。起こせなくて本当にごめんなさい。

叶わなかった願い

ふと一人になった時に、みさの最期の瞬間をみさ視点で見た映像と声がよくフラッシュバックする。何度も何度も同じところがフラッシュバックする。
俯せで眠っている身体から魂がゆっくり抜けて出る。みさのよく使っていた擬音に倣うなら、ふわーり、ふわーりと言うように。身体から離れている自分に気付いても戻れない。「こうじ、たすけて」と言う声は届かず、僕はまだ眠っている。一大事にも気付かず眠っている。みさは多分涙をぼろぼろこぼしながら「こうじ…さよなら…」とつぶやいたように思う。
「こうじの子供を産んで、ずっと幸せに暮らしたかっただよ」と言う声が聞こえる。繰り返し愛してると伝える言葉が何度も聞こえる。叶わなかった願いが渦を巻いている。
時々不思議なことが起きる。トイレに行った覚えもないのに勝手にペーパーが使われて流されずに置かれていたり、取り込んで放り投げていた洗濯物が下半分綺麗に畳まれていたりする。僕がおかしくなってしまっているのかも知れないけれど、そこに残った願いがそうさせているのかと思えたりもした。
付き合い始めの気持ちを持ち続けていられたらこうはならなかった。僕はいつから人を慮る気持ちを忘れていたんだろうか。自業自得だけれど僕の小さな願いも叶わなかった。知り合うきっかけになった、最初の共作曲はレコーディング途中のままだ。
病気がひどくなっても、悲しい事があっても、自殺未遂をしても、結局まだ死にたくなかったからみさは生きていたんだと思う。普通なら死んでしまう量の薬を飲んでも、包丁で自分の首を切っても、何度も手術をしても、どんな救われない状況でも、まだ希望が微かに感じられていたから死にたくなかった。とっくに死んでいても不思議ではなかった身体に、愛する心とやり残した事に対する気力だけで命の炎を燃やし続けていた。
しかし叶わぬ願いはその身を少しずつ灰にする。最後の最後に燃え尽きさせてしまったのは、僕だ。気付くのが本当に遅すぎた。

1755/10479

とても寒い日に生まれ、小さな頃から病弱な身体をだましだまし必死で生き続けて、10479回目の朝日を見ることなく静かに息をするのをやめてしまったみさへ。
僕は「その人の記憶が、生きている人の心の中にある間はその人は生きている。みんなの心の中からその記憶が消え去ってしまったときに初めて、その人はこの世から消えてしまうのだ」という考え方を信じている。だから、みさと僕しか知らなかったかも知れないことや、いつか僕もディテールを忘れてしまうかも知れないこと、遺品の手帳に書かれていたことなんかを書き遺すことで、みさを知る全ての人の心に可能な限りみさの姿を伝えておきたいと思う。もう一度あなたに死なれることがないように。

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映画のフィルムが途中で切れてしまったかのように

詳細はここで書くべきではないけれど、僕に近しい人には何度も話したことのある、あの人が僕の目の前で死んでしまった。
重い病気の人を相手にしていたのだから、いつそういうことがあるかも知れないと気づくべきだった。人の命は本当に簡単に、ある瞬間に急に消えてしまうものだと、取り返しがつかない状況に至って初めて思い知った。
本当に情けなく申し訳なく、最後にひどい事しか言えなかったことが悔やまれて仕方がない。全く気持ちの整理も出来ておらず、頭が混乱して今はどうしていいのかもわからないけれど、まずは持ってきていた遺品の整理から始めて、何とか正常に物を考えられるようにしたいと思う。少しずつ、思い出したことを書いていくかも知れない。