泥の海から見る景色

従妹が今月結婚する。おめでとう。

今どき8年も自律自省できたのは、それだけでもとてもすごいことだと思う。僕は汚れて人を殺して自分を殺して、心配しなくても大丈夫だろうけれど、そんな風にはならないでまっすぐ生きてほしい。

自分の時にも思ったけれど、冠婚葬祭は得てして物入りだ。

祝う気持ちと裏腹に3月の京都には遠かった。

交通費が気になって一期一会に背を向けて、自分から自治会の会計決算の引継ぎのための寄り合いの予定を入れた。でも他の方が夜にしか都合が合わなかったので、結局昼間は家にいるしかなかった。何年も前の6月は救急車だったかな。

廃屋みたいなところの何もなくなったがらんどうに単管を組んで仮初のハレを整える。錆びと埃の混じった薄暗がりの中で照明がジリジリ熱いのを、ステージ上下両方の視点が混じって田舎の原風景みたいに思いだす。懐かしいし多分楽しいんだ。

けれど、放っておかれてホワイトボードにこびりついた絵みたいに、何度消しても曖昧に残って上手く字が書けなくなるのなら、いっそボードごと壊して燃やして埋めて固めて建物を作って先生と家出女子高生が住んで子供が生まれて先生逮捕されて子連れ母子は出ていって風化して壊して掘り返して水引いて耕して生えた草も燃やして耕して掘り返して最後に樹でも植えたら、上手く育って切ったら高く売れたりして、僕にとってはまだ生産的なんじゃないかと思った。

去年寒い頃に梅田の半地下のカフェで金の事ばかり話して、さもしさを注意され、とにかく金銭の話題はなるべく口に出さないようにしようと思っていた。しかし、人付き合いが重なったときに折り合いがつかず罪悪感を覚えるほどなのはいただけない。困っているを通り越して恥ずかしいレベルだ。2009年は3ヶ月経ってしまったのでもう絶望的だけれど、2010年は2008年比100万円の増収を目指して必死で頑張ろうと思う。それでも大手メーカー大卒初任給の額面程度の手取りにしかならないのだけれど。

ホワイトボードを消して消して消してもう一度土台から、真っ白に真っ当に書き直したい。膿を絞って汚いことは考えない、道でだまされて色々奪われても、それでも困らないくらい清い人になりたい。足元がずぶずぶで泥まみれなのは消えないのかも知れないけれど、どんどん沈んでいって窒息するのが避けられないのなら、せめて両手を空に精一杯伸ばしたまま死んで、その上に乗ってくれる人には少しでも長生きして幸せであってほしい。最後に見えるのが笑顔だと、少し嬉しい。