リリース前後

どこの会社に行っても締め切り前後は忙しい。自分が要領が悪いのか、アクシデントが多発したからかは知らないけれど、夜10時にすぐ直るかと頼まれた仕事があったりして、初の深夜作業になった。結局ちゃんとは終わらなくて5月2日に続きの作業をすることになってしまったけれど。
けやき坂あたりのベンチで東京タワーの向こうに昇る朝日を見ながらぼんやり考える。
やる気はあるんだけれど、こんなことを繰り返していたらどこに行っても成功しないんだろうな。要領が悪すぎる。

アレルギー抗体検査

花粉症がひどいので今年は毎週耳鼻科に通っている。
これまで何のアレルギーかは特に意識していなかったので、初めて抗体検査をしてみた。

7種類検査してみて全部陽性、つまり全部にアレルギー反応。
しかも杉アレルギーはひどすぎて測定不能らしく、グラフが右に突き抜けている。
今回7つしか調べなかったけれど、30個調べたら多分25個くらいは反応するだろうと言われた。今年からは一年中漏れなく花粉症らしい。
普通の人のアレルギー抗体の数は60 U/ml くらいらしいが、513 U/ml もあるようだし、鼻の中をレーザーで焼く治療をするしかない、と言われた。
いつの間にこんなひどいアレルギーになったんだろう? ある時突然なるものなんだろうか。

歓迎会準備

自分の次の世代の新人が早くも登場したので歓迎会の幹事になった。
仕事が終わってから六本木を歩き回って良さそうな店を探すけれど、まともなところは高いし、安いところはどうしようもないしでなかなか見つからない。エスニック系から和食まで探して、東は飯倉片町から西は西麻布、北は乃木坂あたりまで歩き回ってみた。一個一個店をのぞいて、BGMも含めて雰囲気を探る。30件も回っただろうか。
結局気に入った店は明後日の予約なんてとっくに埋まっていたのでどこも予約できなかった。終電が来たので帰りつつ、駄目幹事だなあと思うことしきり。今日も花粉で目が痛い。
家に帰ってからウェブで探して電話で予約する午前3時。さっさと帰って寝ればよかった。

懐古主義

確かにそこには安い中華料理店があって、畳の部屋で寝かせてくれる家がある。
あの頃と変わらない友人がいたりして、しかも月曜の夜から酒を飲む。
今週は木曜も飲むわけだし、まるで例会をやっていた頃みたいだ。
死んだ子の歳を数えるのは止めたつもりだったけれど、知らない間に5歳になって、まだ生きていたのかも知れない。

6月に向けて

あのバンドのメンバーに無理を言って、もう一度やらせてもらおうと思った。
平均年齢28歳。僕らは容赦なく歳を取るけれど、でもまだあの頃と変わらず何かが出来るのではないかと思う。本当に上手くやれるのかどうかわからないけれど、実現できればもう一度楽しいことになるんじゃないだろうか。
京都に通う予定だけは立ててみた。あとは時間の使い方だけか。

求められている姿

僕が昔タバコを吸っていたからと言って、寝てる横でタバコを吸われて枕元が灰だらけになるのは許せない。自分に喫煙の習慣があった時だって、楽器や家具を汚したくなかったから、タバコはベランダで吸っていた。一緒に住んでいてそういうことをされたら、それだけで出て行けと思う。
まあ実際には出て行けなんて言ったら、今すぐ自殺するとか言って6階のベランダに登られたりするから我慢するしかない。折れて折れて、文句を言わないようにすればいいんだ。人がタバコを吸っていることに興味すら持たなくなればいい。会社で上司に従って粛々と働くように、客に罵られて顔に煙をかけられるのを我慢してきたように、疑問を持たずただ生きていればいいんだ。
だったら僕じゃなくて、僕の絵だとか仕事をこなす機械がそこにあればいいんじゃないか。

相変わらずな夜から次の朝へ

仕事以外に興味が薄い状態のまま毎日が過ぎていく。
仕事以外で良い事も悪い事もそれほどないからだろうか。いや、やっぱりプライベートはろくでもないことばかりだ。保証人を頼まれて向こうから断られるとか、夜寝られないくらいトラブルが起きるとか、もう別に本当にどうでもいいんだけれど。
仕事で改善すべきところは幾らでもあるし、そこ以外に興味を持たないのが正しいのかも知れない。少なくとも知識は足らない気がするし、直感で正しいことを思い出せるようにならないと今以上の戦力にはなれないだろう。でもそもそも正しいって何だ?
ライトスタッフでありたいとは思う。でもその表現は人員配置をする側から見た言い方なので、本当に実働側から見て自分が活きる場に辿り着けることとは一致しない。多分上から眺めれば駒の一つがある程度すわりが悪くても気にしなくてもよいのだろう。
いい加減自分探しみたいなことは止めにしないか。
見苦しい。

乖離

思っていることをしっかり抽象化してから話すから、初めから何も伝わるはずがない。
言葉にした時点で誤解の余地が入るわけだし、そこからして理解、という言葉と矛盾している。
結論を作って肯定してもらうために、一連の説を述べて了承される。
自分を弁えた態度で話をする、というのはそういうことなんだろうと思う。
ありのままの自分を投げかける機会というのはそうあるものでもない。投げかけられる相手の負担も考えて、ギブアンドテイクの材料を用意することも必要だ。もしかするともう二度とないのかも知れないけれど。
甘えすぎの傾向がある自分を戒めて、誰かが何かを投げつけてくれるのを待っている。何も飛んでくる気配がないのは、そんなにキャパが小さいように見られているためだろうか。それとも単に下心が見透かされているだけなんだろうか。痛々しい。

TOEIC (2005/02)

2月に会社で受けた TOEIC の結果が帰ってきた。スコア695。
微妙な点数だ。前に受けた8年前と比べると50点近く落ちているので気分は良くない。
会社では、次の TOEIC までに英会話学校に通って 50 点以上成績が上がればスクール代の補助が出る。かといって、次に確実に50点以上上積みできると言える点数でもない。
実際毎日英語を読んだり、週2回英語会議があったりという暮らしなんだから、800くらいはないと実用上ダメなんだろうけれど。そんなことはわかってるのに今日も無駄なものを3000円分買って、騙されて散財。いい加減にしなければ。