禁煙して2年が経つ。
昔から潔癖気味のところがあって、自分の部屋の中では絶対タバコは吸わなかった。雪が降っていても、寒いベランダで吸う。
タバコを吸う子と付き合ったことはほとんどなかったけれど、その時はそれでもよかった。
病気がちな体質もあっていつも病院通い、やがて病状が重くなり手術を重ね、本人も鬱になりタバコの量も増え、薬漬けになってしまった。それでも最初は、僕が嫌がるので部屋の中では吸わなかった。
いつもどこにも出かけることも出来ずに横になっている。調子の悪い日にはまっすぐ歩くことも出来ないから、ごみ箱や戸棚が倒れているのはしょっちゅうだ。そうでなくともまともに起きられる日は少ない。
そのうち、自分がどこで何をしているのかもわからなくなっている日が増えたようだ。
二人で寝ていた布団の中で物を食べるので、寝ようと思うとレタスの切れ端やみかんの種が出てくる。布団の横にはざらざらと薬が数百錠。枕はコーヒーまみれだったりする。布団や枕にタバコの焦げ跡が増え、ついには風呂場とトイレを間違えるようになった。
薬が切れて頭がはっきりしている時には締め切った部屋でタバコを吸うのは止めてくれ、せめて窓を開けてくれと注意してみたけれど、言うことを聞いてもその時だけだった。体調が悪いから窓を開けることも出来ない、と言い訳するけれど、体調が悪いならタバコなんか吸うなと思った。
本人には言えなかった。私の体調が悪いことを考えてよ、と言われるのはわかっていたし、そもそも嫌な奴だと思われたら共同生活は上手くはいかないから。ただ、お願いだから室内で吸うのは止めてくれと頼み続けた。多分、それでも好きだったんだと思う。
僕が忙しくなってあまり家に帰れない時期もあり、室内に腐ったものが増えて、裁縫箱をひっくり返したのか床が針だらけで足が血だらけになったりもした。足の踏み場もなくて、布団に入ると却って身体が汚れる始末。でも、僕はそれでも幸せだと思っていた。
でも、その日は突然、自分が望んでいたのはこういう生活ではないと感じて、心が狭いとは思いながらも出て行けと言ってしまった。何が変わったというわけでもない。
嫌いならもっと早く言えと言われた。こういうのも自己中心的な考え方なんだろうか。
数年間を費やしてやっと見えることだってある。結局僕は自分ルールを曲げられなかったわけで、きっとそこまでの器なんだ。それを見抜けなかった相手も悪いけれど、僕の器量が足らないのも悪い。こういう時は全部男のせいになるけど、本当は片方が責任を負うことでもないと思う。それにしても何でこんなにしてまで、誰かと一緒に居たいんだか……僕は何を求めているんだろう。
粘液の海
水・木・金と仕事で失敗ばかり。
鬱期は何をやっても時間がかかるばかりで生産的なことに手が付かない。
今期の目標が達成できるのか出来ないのかとか来週発表する資料のレジュメ作らなきゃだとか、あああ。
3年越しに引き受けてた例の件も22日までに仕上げなければならないし、どうにかならないものか。
春が来て新しい季節になって、周りの人はその先に歩き続けて、自分だけ足踏みをしているわけにはいかなくて、何か知らないけれど走り続けていなければいけないと言う気になって、そうやって追い立てられている気になって、気が付くと数時間が盗まれている。
毎日にたくさん何かを詰め込んだ生活が出来る人が羨ましい。疲れを残すだけの空っぽの生活だと空しいばかりだ。
孝行したい時に親はなし
怠慢
あれから何度目の春
今年初めての京都
3日に熱を出して会社を休んでしまい、4日もかなりふらふらのまま出社。夜遅く、会社で大きなトラブルが会社で発生し、あちこちの部署が大騒ぎになっていた。しかし戦力になれそうにもなく、上司も既に退社していたので復旧を見ずに帰らせてもらった。
朝方に眠り、起きたら13時半で、もう15時開演のライブには逆立ちしても間に合わなかった。大学時代から参加しているサークルの追いコンの日だったので、下手をすると一生会わなくなる人もいるかも知れないので強行軍を組むことにした。新横浜までタクシー、のぞみで京都、京都駅から川端丸太町までまたタクシー。合計14500円。所要時間5分+120分+15分。意外と時間的にもお金的にも実は大したことでもないのかなんて思う。
忘年会で京都に行って、何かをやらかして以来。京都に戻る度に知らない人が増える。今回なんて初対面の上に結局話さなかった人が多いかも知れない。もう卒業してから丸4年も経つのだから当たり前なんだろうけど。まだ知っている顔も多いけれど、そろそろ違和感もきつくなってくる。
違和感を感じたのにはもう一つ理由があって、自分が楽器を演奏しないメトロでのイベントが始めてだったことが原因だったのだろうと思う。今までここに来れば自分がステージに立つものだったのが逆に不思議な感じがした。
イベントは概ね良かった。内輪のイベントならではのネタの仕込みっぷりだったけれど、全員の人となりを知っているわけではない僕でも笑えたので、ここ数年ではかなり良かったんだろうと思う。
・Wheedle、ちょっとしか聞けなかったけれどあの渋さはなんだろう。
・へっちんとFujiは寸劇ライブをやっても良いのではないかと思う。あの寒さで納涼祭りをやって欲しい。
・はにまるはやり過ぎ感がいかにもと言う感じだった。関わった人々が羨ましい。サイリウム買って持って行こうとしてたけれど既に準備されてたあたりが流石。6月を見られなかったけれど今回の方が突き抜けてたらしいので見られて良かったです。
・トリでは久々に、2年ぶりに、前に突っ込んでモッシュを作ってみた。人の足を踏んで二回転んだ。あざだらけだ。周りにいた9歳年下の人々はどう思っていたんだろう。7年ほど前もそうやって暴れていたんだなと思う。隣の顔も同じだったりして。ええ、相変わらずみんな馬鹿ですから。いつまでもそういうバカなことをやり続けられる人でいたいんだけれど、いつまで許してもらえるのかな。
その後例によって打ちあがり、30人か40人で飲んだくれる。7年ほど変わらないいつもの場所で相変わらずみんな大変なことになり、7年ぶりに見た伝家の宝刀ドンペリロゼ投入。
馬鹿をなめるつもりはなかったのだけれど、今日に限ってあまり酔わず。実は馬鹿にされているのではないか、と心配していた今度院に入る後輩と話す。僕は彼女の弾く男前で乱暴なギターがとても好きで、ああいうのが弾ける人になりたいんだけれど、きっと同じくらいネジが飛んでいるべきなんだろう。反省。
そんなわけで、今回何故か遠慮して2次会本隊(30名)には参加せずにカラオケに行ってみた。9歳下の歌の上手い二人と風邪で声の出ないおっさんって感じで、あの二人にはつまらない思いをさせてたかも知れない。会話は少なかったかも。とにかく歌い続けて5時間半。3~4軒はしごをした本隊に合流してみて、少し酒を飲んで韓国語を聞いた。
その後酒とうどんを買って飲み食いし、6畳で5人横になる。4年前はいつもそんなことばかりしていたような気がする。いつまでもそういう暮らしが続くと思っていたけれど、今はすごく懐かしく思った。居場所があるのか知らないけれど、すっぽり抜けた3年間の埋め合わせに、しばらく毎月通ってみようかなんて思い始めた。
また相手にしてもらえるんだろうか。やっぱりそろそろ実績見せなきゃだめか。
暑い夏だった海と、寒い金属の街
手を伸ばしても届かないこととか
例えば希望年収があるとして、どれだけ頑張っても、どこの会社に行ってもある程度のところで頭打ちだとする。そう言う時にはみんないつかは納得して諦めてしまう。自分はこんなもんなのだろうなと思ったり、月曜朝の京浜東北線に飛び込んだり。
でも、こと恋愛に関してはなんだって誰でも諦めが悪いんだろう。
自分も含め、一瞬でも幸せだった時のことを思い出して、お互い生きてる間にもっと仲良くしたいだとか思う。迷惑かもしれないし、そうそう叶うはずもないんだけど。
身近な誰かを探せばいいんだろうけど、あれほど仲良くできるとわかっている人の方を向くのを辞めるのは、ほんとに前向きと言うんだろうか。身体の距離が遠かったり、心の距離が遠かったり、相変わらずうまくは行かないみたいだ。