この時期の喉の痛みは花粉症か風邪かわかりにくくて困るが、熱もあるし鼻水もなく喉が痛いが風邪だろう。
もっと有意義な過ごし方もあろうに、日月と寝込みっぱなしで時間を失う。普段下着で寝ているところをパジャマと靴下を履いて完全防備で寝ていると暖かい。ああそうか、先週道で寝てから調子が悪かった。
教訓1:冬に半裸で寝ない
教訓2:冬に道端で寝ない
前回のは抽象的に過ぎたので、今日は具体的に書く。
二日連続ではっきりとした殺人絡みの夢を見た。
昨日は自分が絞め殺されそうになる夢だった。道を歩いていたら大きな男に因縁をつけられ、両手で頚を絞められたまま宙吊りにされ、意識不明になる。夢の中で意識が戻ったところ、地面に投げ捨てられていて左腕が有り得ない方向に曲がっていた。
今日は実家にいる夢だった。窓の外で断末魔のような悲鳴が何度も聞こえ、外を見ると中学校時代の同級生が大勢、野次馬のように何かを取り囲んでいる。見るとそこにはご老人が二人倒れていた。
頭から大量に血を流していた一人にはまだ息があり、その辺りに落ちていた大きなアスファルト舗装のかけらを誰かが掲げてみたところ血が付いていたので、これで殴ったのだろうということになった。もう一方は胴体と首から上が分離していたので素人目にも死んでいるとわかった。警察官が首を担架に失礼なやり方で載せるのを見ていると、僕自身が鈍器で殴られたのか後頭部から温かい血が飛び散り、真っ暗になって夢が終わった。
大事な古文書や、水彩の名画にマヨネーズを有り余るほど大量にぶっかけたら叱られるかもしれない。でもそれが、黒い下着や郵便ポストにマヨネーズをかける事より悪いと誰かが決めたのか。
マヨネーズ風呂を作ったからと言っても、学校のマヨネーズ畑に行ってはならないわけでもない。道を歩いていてすれ違い様にマヨネーズをかけられて嫌だったらケチャップでもかけてやればいいし、マヨネーズで綺麗に日焼けしたいなら一度試してみればいい。
マヨネーズがどれほど好きか、マヨネーズにどれほど思い入れがあるのか。そもそもマヨネーズってなんだ。
みんなもっと自分勝手に、価値観がぶつかってみてから物を考えてもいいんじゃないのかな。特に恋する時とかは。待ってる時間はもったいないし、端で見ている分にも大騒ぎになっている方が僕は楽しい。
不都合にして呟かざるを得ず、昨日寒く今日は非常に暖かく、気象病なのか目も開かず体育座る夕景、足元の絨毯に顕微鏡の眼が固定され、灰色を構成する糸屑色の混紡が赦しがたく目眩い、安い古着と無用の暖房に汗を流し、右側の掻痒と左側の鈍痛と前後の不具合に苛まれ、アルファベットと数字は与り知らぬところで優雅に奏でられ、責任をたらい回す文化は国境を越え、関わる事全てが裏目に出たように感じるからこそ、しばし湯煎に頼る可能性がある。
土曜の夜に過度に飲酒し、雪の降り積もる中バス停のベンチで寝たが、早朝目覚めて帰宅した。人生一回休みの刑?風邪なのか花粉症なのか鼻水がひどい。
日曜は食事の時間以外は完全に布団の中で、暖房もつけず猫を抱えて寝ていた。これはひどい養豚場ですね。
笑うほど世界の株が暴落して、債権保証機関自身の格付けも下がり、250兆円の債権の信用が下がり値が付かなくなったとか、ワールドビジネスサテライトのアナウンサーが本番中にNASDAQの初値暴落を見て涙目だったとか。色々大変過ぎて、何をどうするのが良いのかという価値観を論じるのすら馬鹿馬鹿しい。
ちょっと前まで真面目に働くのは馬鹿で、レバレッジの力学に基づく投資やデリバティブで上前を撥ねるのが賢い大人の生き方だと言われていたが、今や彼らは例えば太陽系の成立過程を計算している理論天文学者が手近な現金収入源を全く持たない事を馬鹿にする事すら出来まい。それどころか、飲んだくれて保育園のエレベーターで眠り警察を呼ばれる人も、この寒空の下公園のベンチで乳首を吸わせたり吸ったりしている若いカップルも、何も出来なくて凍え死にゆく人達も、何なら泥棒や人殺しも、全て正しく、全て間違ってもいるとしても否定はできないだろう。何をすることも正しく、何をすることも間違っている。
僕は勝負の資格すらないからか心安らかで、今週まず確実なのは三条コウシンに行ける最後の機会だから、あそこで狂ったみんなと一緒に、取り返しのつかない事がしたい。少なくとも大きく間違ってはいないんじゃないだろうか。
薄くなりつつある頭を丁字剃刀で滑らかに磨き上げ、よく噛んだチューインガムを薄く延ばして貼り付ける。しばらく待つと、それが乾いて縮むに連れ、皮膚と薄いガムの膜が合わさった何かが不規則に引き攣れ、心地良いマッサージとなる。
検察官に読み上げられた訴状の変わらぬ一文主義が訳もなく気になるのと同じように、チューインガムの単語間の連接が気になる。そんな無駄な事を考える前に、空に向かって伸びる先端の見えない梯子を駆け登れ。
闇夜の空の上から、薄く薄く延ばした甘いチューインガムをふわりと拡げ、眠る街も人も全てを覆ってしまおう。何も知らずに眠っている人は、甘いガムを噛む夢だけ見ても、きっとそのまま明日が来なくても、何一つ気付きはしない。
並べたマグロに鈎を引っかけて冷凍庫でフォークリフトを乗り回す。外に出たら、解凍した切り身に誰かまたタンポポを乗せてくれないかと思いつつ、今日も味の無くなったチューインガムを噛み続け、唾液で空腹を満たすふりをする。
田舎の産業が沈滞して久しく、関東なんかには僕を含めて多くの人々が、三軒茶屋を三茶と呼ぶような意味で、それぞれがばらばらに記号化された毎日を生きている。それぞれ違った方向にでも走っている事には違いはない。
つや消しむみんを名乗る彼が今日数年ぶりのライブで歌うのを夕方突然知って、平日なのにライブを見に行った。そういえば会うの自体も7年ぶりくらいだった。
職業作家中心のバンドで、各々誰かに提供した曲のセルフカバーの持ち寄りだった。初ライブのようだったのに、流石になかなかまとまっていた。パーカッションの方が面白いキットを組まれていて、ついついそちらを見てしまう。それ以外にもパフォーマーと作家の表現の違いは個性が顕れやすくとても面白い。僕は作家自身の表現の方が生々しくて好きな事が多い。
彼の歌い方はかなり変わっていた。今の方が力が抜けていて、昔よりも自然じゃなかろうか。帰ってから考えてみたら、最後に生歌をたくさん聞いたのは三条河原で路上ライブをやった時か。そりゃ変わる。当たり前だ。
セットリストはやや擦り減った人にしみる曲が多かったように思う。作家の方々は普段僕ら以上に競争社会で激しく生きているからか。いずれにせよ全部良い曲で、あんなに小さな箱で少人数の環境で聞けたのは贅沢で幸せだった。
今日のMCや歌詞じゃないけれど、まだ時々どこを目指せばいいのか迷ったりする。ただ、迷って何もせず無駄に時を過ごすよりも、結果の良し悪しに関わらずとにかく行動して形を残した方が良い。振り返って後悔しないのはそういう事だろうと思う。僕も今年は各方面にアウトプットを増やそう。