9月に入って2日代休の後2連続遅刻。明日こそはまともに出勤しよう。
0時14分職場発の電車に乗って帰って、ちょっと片づけをするともうこの時間。期末進行は毎回こうだ。もう少し線表通りに作業できないものか。
無いものねだり
収入の話をされると毎年耳が痛いけれど、食うに困らず暮らせているし、酒を減らせばすぐに貯金もできるのだ。定年を過ぎて生きている自分の姿は想像できないけれど、少しくらい将来のことも考えた方がいいように思う。
人一倍劣等感が強いので、どの方面でも誰よりも優れていないと自分を認めるわけにはゆかない。しかし実際には誰にも何も敵ってすらいなくて自分でやる気を削いでしまっている。
新たな知識を得たり、初めての経験が出来たり、自分の伸び代を評価してもらえる機会があることは幸せなことだ。走って行く先が見えなくとも、足元に地面があるのは幸せなことだ。
たまには積極的に人に評価されるための努力をしてみようと思う。いわゆる型にはまり、同じ規格の中でどれほど優秀であるかを競ってみるのも悪くないのではないか。既存の概念を超えた発展は、いつも既存の概念を完全に網羅した末に生まれるものだし、出口がないという言葉は、全ての外壁を破る努力の後に口にすべきものだ。
来週は米国。
リリース前後
TOEIC (2005/02)
粘液の海
水・木・金と仕事で失敗ばかり。
鬱期は何をやっても時間がかかるばかりで生産的なことに手が付かない。
今期の目標が達成できるのか出来ないのかとか来週発表する資料のレジュメ作らなきゃだとか、あああ。
3年越しに引き受けてた例の件も22日までに仕上げなければならないし、どうにかならないものか。
春が来て新しい季節になって、周りの人はその先に歩き続けて、自分だけ足踏みをしているわけにはいかなくて、何か知らないけれど走り続けていなければいけないと言う気になって、そうやって追い立てられている気になって、気が付くと数時間が盗まれている。
毎日にたくさん何かを詰め込んだ生活が出来る人が羨ましい。疲れを残すだけの空っぽの生活だと空しいばかりだ。