3月・4月は全国的に異動だらけだ。僕の周りでも、高校時代から卒業して現在に至るまでずっとお世話になっていた恩師が母校を離れたので、先日、10 世代に亘る OB が集合して送別会を行ったりした。
友人であるところのハナイ氏も 3 月末で職場を離れられたという。全然知らなかった。最近不幸があったこともあり、僕よりも更にミッションクリティカルな現場を渡り歩いて来ていたハナイ氏の緊張の糸はいつまで持つのだろうかとかねてから心配していたのだが、どうも糸が切れたような種類の退職ではないようだ。これまでやってた事にも外部から関わり続けることになる
ということだから、ちょうど僕と同じようなものだろうか。僕の場合は、去年会社が潰れた後に個人として外注を請け負い、新しい会社に入ってからもその仕事を引き続き行っているので、仕事の内容自体は 4 年目もほとんど変わっていない。
今の会社の人には失礼だとは思うが、僕は今の業務のみに埋もれて一生を終えるつもりはない。学生時代から変わらず、あくまで起業のための資金と人脈の準備期間と捉えている。このままの仕事を続ければ早晩死んでしまうだろうし、急がなくてはならない。まずは、今夜中に 3 月末が締め切りだった仕事を全部終わらせることから始めようか。
Aperiodique
相変わらず昼に夜を継ぎ、次の夜に昼を継いで仕事を進める。仕事が普段より特に多いわけでもなく、一時期と比べれば寧ろ負荷は減っているはずだけれど、とにかく能率が悪い。
最近は 30 時間ほど作業した後に 2 ~ 4 時間睡眠を取ることが多い。眠いタイミングが昼間に入ると、ほとんど何も作業が進まない。寝ているわけにもいかないのでパソコンの前に座っているが、かろうじて電話の応対のための作業が出来ている程度だ。周期のない生活は、社会人としていかがなものか。
能率が上がらないのは睡眠不足のせいだけではないと思う。さっきまでかなり時間をかけて友人に話を聞いてもらったおかげでだいぶ今の自分を客観視できたように思うが、どうしてこうも理屈では割り切れないことばかりなのだろう。そして今のところ、僕が悩んで悩んで出した結論は、結局僕を幸せにしていないし僕の為にはなっていないのだ。僕に足りないのは決断力と勇気、そして強い意志だと思う。重大な分岐点でそれを使わず流されてきた以上、次の分岐を待つしかない。それまでは、本来のコースに戻る方法を考えるか、このまま流されるかを考えていればいい。
あるいは、変に考えることをやめて、もっと仕事に溺れてしまえばいいんだろう。預金の残高が増えていくだけでも、今はそれなりに幸せだし。
年度末
裏目
何と言うか、今日はやること全てが裏目に出る。
例によって自宅で朝まで作業して今日納期の仕事を終わらせた。なのに納品物を焼いたメディアを忘れてレビューに遅刻した。自宅に取りに帰って持って来たRWはなぜか読めず、結局再度取りに帰って USB メモリで持参し、現地でメディアを作成するはめになった。さらに、その USB メモリにも入れ忘れたデータがあり、早く帰宅してデータを送らねばならなかったのに送付が時間に間に合わず、慌てて送ったデータは中身が誤っていた。結局それはデータ支給元の入力ミスだとわかったのだが、今日の仕事が進まなかったことには変わりはない。
こんなことを続けていると早晩仕事を干されてしまうだろう。
疑問
仕事が終わらない。全然終わる気配もない。
土曜のタスク。金曜の打ち合わせで赤が入った提案書の修正に DB の概要設計書を追加して提出。同じ宛先の別案件の提案書、同設計書。今週全く進まなかった来週末納期の改修物件の着手。
そしてさらにこんな時間に見積 3 件作ってるし。最近見積出したのは、細かい案件まで数えるといくつになるんだろう。10 件超えるんだろうか。年度末進行でどんどん発注がかかるし。再来週にはまた新案件でその週末納期だし。
会社はこれで何とかぎりぎり回っている。僕のノルマを給料の 3 倍としたら、この受注ペースでぎりぎりだ。これは単に人月単価が安すぎるという話なのか。中小であるというだけで買い叩かれるのだから、そろそろ人月ベースの仕事は不公平だということに気が付いてほしい。
しかしまあ、定時に帰ってまともな給料をもらっている人たちの会社というのは、一体どんな経理で回っているんだろう。何かマジックがあるような気がしてならない。
決別
「喪失」で少し触れた失った人物について、色々と考えた結果、一つの結論に至った。
初めて彼に会ったのは 7 年前の夏のことだった。
その前の年に会社を立ち上げたと聞いた頃からメールのやり取りはしていたものの、実際に会ってみると彼は思っていたよりもずっと大人だった。少なくとも僕にはそう見えて、およそ彼には隙がなかった。彼は今の僕と同じ歳で社長になったわけだが、会社を立ち上げてから 1 年の間に周囲に揉まれて、嫌でもそうならざるを得なかったのだと思う。
当時学生だった僕は、将来の職として考えていた業界の先達である彼に、折に触れ技術的な相談を持ちかけるようになった。多忙だからか返信は遅かったものの、現場からの確かな内容の返信をもらうことを重ね、僕は彼を信頼するようになった。
2000 年の 7 月、彼の会社の東京事務所が立ち上げられる計画が持ち上がった。10代の頃からの知人(前の会社の東京事務所長、かつ今の会社の立ち上げ時に同時に参加したシステム営業担当者)もその立ち上げに誘われていた。その人も当時別の業界でかなり有能な営業担当者として全国を飛び回っていたが、スピンアウトして新事業立ち上げを行うという。当時院試との掛け持ちで全く進んでいなかった就職活動の中、8 月 20 日、ひとまず僕はその新営業所立ち上げの内定を得た。
結局 50 社あまりを受けたけれども、他の会社に内定をもらうことは出来なかった。学校推薦に頼らず一般応募ばかりを受け続けたことが敗因だったのかもしれない。ただ、想定年俸プランを見る限りでは、他の会社に行くよりもずっと将来の可能性があるように思えたので、開拓心に燃えていた。
その後上京し、2001 年 4 月入社。自分の机を組み立てる所から始まる仕事。いきなり名古屋で 2 ヶ月間研修になるという想定外の出来事はあったけれど、会社のことを無計画だとは思わず、仕事はそういうものだろうと思っていた。概要だけ示されたパンフレットを元に仕様を想像して物を作る作業にも慣れ、いつからか土日も休めなくなり、会社に泊まりこむ日々が始まった。それでも売上が次期の給料に跳ね返ってくる事を頼りに、必死で頑張った。
当初 3 ヶ月で給料が見直されるということだったが、結局給料が見直されたのは 13 ヶ月目のことだった。それは当初のモデルプランの昇給とは全く異なるものだった。僕の売上が見込みより少なかったのかもしれない。この頃から、社の運営は厳しくなっているように見えた。なぜか借金の額が増大し、僕が昇給した分、他の社員の給料は下がっていた。仕事はますます忙しくなり、開発担当は毎月人月の 3 ~ 4 倍の売上を上げるようになった。売りが立たない月でも、修正などで同じ程度の工数を稼いでいた。しかし、幾ら努力しても会社の運営はますます傾いているように感じられた。それについては、彼から直々に海外企業に対する M & A を行うための投資や、海外企業の製品の買収・ローカライズ権取得費用によるものであると言う説明がなされた。彼は当時、毎週のように海外に出張に行っていたことからその説明は納得できるものだった。
しかし結局その海外の相手先企業は破綻した。時を同じくして給料の遅配や無配が続くようになった。いつしか取引銀行から手形帳を取り上げられ、総務は社員の給料を払うために商工ローンや果ては消費者金融までを駈けずり回っていたという。そして総務部長が突然失踪し、昨年 9 月に 2 年半勤めたその会社が破綻する直前には、借金取りが東京事務所に押しかけることを防ぐため、電話には出ず、夕方からは灯火管制のように暗闇で仕事をするようなことを経験した。しかし、それでも僕はそれは経営努力の結果、単に不運であったがために起こった結果だと信じていた。
会社が破綻した後、僕はその会社の本社のコアメンバーが業務引継ぎのために立ち上げた新たな会社と契約して東京で仕事を続けることになった。人数が激減したにも関わらず、旧会社の全ての業務を引き継いでいたため仕事は多忙を極め、本当に死んでしまうのではないかと自分で心配するようになった。命がなくては仕事は出来ないので、顧客に何とか譲歩してもらえないかと依頼する。その中で、僕は次第に彼の本当の姿を知ることとなる。
彼は全社員の給与総額に匹敵する額をほぼ毎月私用に使っていた。彼はアジアに海外出張に行っていたのではなく、その日程で愛人とヨーロッパに旅行に行ったりしていた。社員が稼いだ売上をどのように使うのかは社長の自由かもしれない。しかし、会社で借金をしてまで私用に費やしている社長を知らず、文字通り命を賭けて働いていた我々のこの数年間は何だったのか。社員を騙し、役員を騙し、監査法人を騙し、協力会社や取引先を騙し、そこまでして彼がしたかったことがどうしても理解出来なかった。初めから裏切られていたことを知ったとき、とてつもなく大切なものを失ったと感じた。
そして、しばらく考えてやっと気が付いた。文字通り、僕が信じていた彼と言う人間は初めからいなかったのだ。僕が感じたどうしようもない喪失感は、彼との決別に対してでなく、その虚像を見て過ごした時間に対するものだったのだろう。自分が人を信用するということがここまで根拠のないものだと判っただけでも収穫だった。
失った人間関係とそれに引きずられた時間を思い悩むよりは、これから先のより真っ当な人生について考えるべきだ。僕にはまだ少し、その時間はある。
エール
元サークル仲間であり同業者でもあり、もしかしたら将来の取引先になるかもしれないうさこ社長が死にそうなくらい仕事に追われている。 確かに今はどこでも繁忙期だけれど、それだけでは片付けられないくらい尋常ではない。
僕よりも若いのにこの業界で何歩も先のキャリアを積み、さっさとドロップアウトして正規の有限会社を立ち上げ、きっと僕の何倍もの仕事を涼しい顔でこなして、挙句の果てに平日夜やオフの日にはスポーツも嗜んでいるような人なのだが、さすがに限界はあるようだ。どうしてまあどこもかしこも無茶な日程で年度末にねじこんで来るのか。
どうしてそんなに生きいそぐの?って思えてならない。
今のすごい回転の世の中見てたら。
全くその通りだと思う。何でもいいから大量生産すればいい時代はとっくに過ぎて、今はその質が問われる時代だ。作り手は使用者の立場に立って、本当に必要なものを最高のクオリティで提供することに腐心すべきだ。とは言え、スタッフの人数も切り詰められているのでクオリティを維持するだけでも大変なのだが。リストラがいくら進んでも新規雇用が確保されるわけではなく、単に社に残った人々が深夜残業するようになっただけなのだから。時計の針はぐるぐると狂ったように回り、気が付いたら寝ずに次の朝を迎えている。
ぶっ壊れそうなのを心配してメールを送ったりするなとのことなので、ここでひっそりと心配したりエールを送ったりすることにしようと思う。何度も身体を壊している僕から言えることは、結局最後に自分を守るのは自分でしかないこと。社長と言う立場から雇われエンジニアよりは責任も重いのだろうけれど、最後の一線でどうしても退かざるを得ないときは迷わず逃げてください。命さえあれば、また新しいクライアントを捕まえることは出来るのだから。
立ち位置
あちらこちらに心配をおかけしているようで申し訳ありません。
僕は相変わらず現場では一番の下っ端なので、誰にも文句を言わず、ひたすら何を言われても忍の一字で過ごしています。多分、会社関連の知り合いは僕が自分のサイトを持っていることすら知らないでしょう。
だからこそ、ここで普段言いたいことを書き殴ってある程度の発散をすることも可能なわけです。守秘義務に関わる内容は書いてませんし、別に見つかっても問題はないですが。寧ろ問題になってくれれば幸せかもしれません:-)
僕は昨年 9 月に前の勤務先が倒産して以来、 1 月中旬までは個人事業主、現在は前の勤務先からスピンアウトした開発者 4 人 + 営業 1 人の会社にいます。10月からの業務は、一貫して潰れた会社の業務整理と以前と変わらぬ取引先からの新規の受託開発です。倒産の時に全く別の就職先も見つけてはいたのですが、物件の一つに担当者専属契約があったため、巨額の違約金を払わないことには抜けることすら出来ませんでした。本当なら倒産と同時に逃げればよかったんでしょうけど、生活できないほど給料の未払いが続いていたので、選ぶ余地はありませんでした。
今の会社は全員が張り詰めた筋肉で綱引きをやっているようなものなので、どこか一箇所が切れると全員が木っ端微塵に弾け飛びます。今いくら辛くても抜けるわけにはいきません。同じ迷惑をかけるなら、最低限の義理は果たすと言う意味でも、繁忙期ではない時期に抜けるほうがまだマシだと考えています。少なくとも、開発者 4 人の中で僕にしか出来ないことが多すぎるので、辞めるのは引き継ぎが出来る人材が入ってきてからが順当です。しかし、残務整理で無給労働をしている状態ではとても増員が出来るような経営状況ではないので、そのうちに前言を翻さざるを得なくなるかもしれませんが。
辞めた方が楽なのはわかっています。同じ業界でもここまで底辺なのは銀行系くらいしか知りません。ただ、これから子供が生まれる上司や、新婚の先輩の家庭を崩壊させるのに比べれば、僕が追い込まれるくらいは我慢すべきじゃないかと思っています。
上司や先輩は僕と同じ開発者の道を選んでいるので仕方ありませんが、彼らの奥さんや子供たちは普通の幸せを得る権利があると思うのです。人のことを考えている余裕があるうちは僕はまだ平気なんじゃないでしょうか。それとも、自分の身の危険を察知できないほど、危機感が麻痺しているのでしょうか。
カットオーバー幻想
調子に乗ってもう一つ。
今日、午前 3 時過ぎにある一つの物件の最終納品を済ませた。
納品といっても FTP や SSH でサーバにスクリプトとデータを入れて動作させるだけなので、どこかに行かなくてはならないわけではないけれど。
実は、この仕事では、同じものを 4 回作り直している。
1 月 13 日着手。 1 月 21 日納期。初期工数 10 人日。完全に 1 人でやっているので、計3日徹夜して、同日早朝、初回納品。
仕様は紙一枚で来ていただけなので細かい部分について即改修が発生し、毎日逐次修正し 29 日に第 2 回納品。
2 月 3 日に客先要望で改修が発生、初期工数と同じ費用を頂いた上で、2 月 11 日に第 3 回納品。
このときも原稿をもらえなかったため、再度改修が発生し、先ほど第 4 回納品。今度こそカットオーバーかと思っている。
自分で見て思ったけれど、この仕事単体でさえ 1 日 8 時間の労働時間の前提は破綻している。納期が終わったら次の仕事が出来ると思って次を入れていても、営業担当会社が改修を受けると決めてしまった場合下請けは断れず、絶対に 1 回でカットオーバーすることはない。次の仕事が始まってしまうと、深夜帰宅してから自宅パソコンで朝まで引きずっている方をやる羽目になるので、成果物の品質は劣化し、さらにスケジュールは遅延する。命を守るための最低限の睡眠を取るとして、それも遅延の要因に入ってしまう。
今、僕は上記以外にも、同じような過密スケジュールで工数が数人月単位の大きな物件を2つ抱えている。そちらもそれぞれ週に2回ほど納期があるので、結局毎日徹夜することになる。他の人のヘルプ作業まで入れるともっと数は増える。
そして、何よりも恐ろしいのはこの状態の僕が社内で誰よりも負担が軽いことだ。だから、僕に転がってきた仕事は誰にも振れないし、他の人から SOS が出たら助けなければ死人が出る。
そもそもなぜ、 1 人の人間が 1 ヶ月に 5 人月の工数をこなす前提でスケジュールが組まれているのだろうか。社員全員体力の限界まで働いていて、全員給料は一律なので、一番キャリアが浅く技術も足りない僕は、そのそれなりの高給を甘んじて受けるしかないのかも知れないが。
僕も、前の会社に入社した頃はカットオーバーの翌日に有休を取って休んだこともあった。今はもう、カットオーバーという言葉自体が幻想でしかない。
ウェブサイト幻想
いくらウェブの業界がいい加減だとは言っても、通常のソフトウェア開発に倣い、おおよそ次のような割り振りでプロジェクトは進められていると思う。
- プロジェクトマネージャー(以下PM・総責任者)
- システムエンジニア(以下SE・設計担当)
- デザイナー・グラフィッカー(以下G・デザインや絵的な部分)
- プログラマー(以下PG・コード開発の現場)
デザイン部分は僕の工程に直接の関係はないので省くとして、他の 3 種類の業務に携わる場合、必ず上流工程の者が下流工程の業務担当を把握しておくことが必要だと感じる。少なくとも、PM がその物件で使用する技術について何ら知識を持っていない、などという事は致命的だ。
他の業界では絶対にありえないことだと思うけれど、ほとんど当たり前のようにマネージャの肩書きを持つ方々は現在の物件に関する技術的な知識を持っていない。そして多くの場合、提案書を書く SE ですら、何の技術を使って実現するのか理解しないまま、また聞きの知識でレジュメを仕上げる。
僕の身の回りで多いのは、PM も SE も単なる取次ぎと化しているケースだ。
PM も SE も仕様を理解出来ない物件の発注を受けてしまい、僕ら現場の PG が提案書を書き、PM と SE がそれを持って打ち合わせに行く。(そもそも、受注後に提案書を書くのがどうかしている。)
顧客からの質問事項は僕ら PG に打ち合わせ先から電話がかかって来て回答させられる。なぜか、受注段階で納期と発注金額が決まっているのに、確定した仕様を見ると提案書の5倍くらいに膨らんでいる。仕様を理解していないから、彼らは何が問題なのか判らない。
外注を使う予算がないので、結局自社の PG に詰め込むことになり、そして当然のようにスケジュールは破綻する。
別に PG 未経験で SE をやっても構わないし、本社からの出向で PM になるのも自由だけれど、せめてその改修が誰の担当箇所かは把握しておいてほしい。それはある程度歳の行った社会人なら誰でも持つべきスキルのはずだ。
複数の下請けを束ねている元請けの PM なら、エラーが発生したのはどの下請けが開発したモジュールかを確かめてから苦情を投げてきてほしい。
納期も費用の上限も決まっているのに、あり得ない大量の追加工数に対して見積を要求するのは止めてほしい。
ウェブサイトは紙に絵を書く程度でできると思い込んでいる顧客や、携帯電話でもパソコンで使えるウェブ技術が何でも利用できると思っている顧客と一緒になって、PM が開発者に怒鳴り込んで来るのは何とかしてほしい。
コストダウンというお題目に振り回されて、下請けを叩きのめしクオリティの低い製品を納入させることが、将来的に自社の看板を汚すことを真摯に受け止めてほしい。
自分の責任を果たさずに無駄に部下を討ち死にさせることの意味と、将来的な損失の大きさを考えてほしい。
最終的にこの馬鹿馬鹿しい損失が顧客に与える不条理を、顧客の立場に立って考えてほしい。