付箋紙に描いた絵

スキャナを入手したので、最近描いた絵をいくつか取り込みました。

前は正方形のメモ用紙に描いていたわけですが、最近は細い付箋紙になりました。安いし面積も小さいので、インクにも時間にも優しく経済的です。

というわけで、画材はアスクルの付箋紙+トンボの0.5mm油性ボールペン(黒)のみです。着色はGIMPのエアブラシと色相・彩度・明度・コントラスト、ものによっては若干のぼかしフィルタを使用しています。


■ぬいぐるみなのか人間なのか、よくわからない連中


■首が長かったり折れたりして困っている連中


■何か出たり刺さったりしてる連中


■情緒不安定な人、3つのシチュエーション


■谷さん(仮名)


■脳内世界


率直なご感想をいただけますと嬉しいです。

もしも浅利式絵画診断的なあれに詳しい方がいらした場合、何か分かることがあれば教えてください。

泥の海から見る景色

従妹が今月結婚する。おめでとう。

今どき8年も自律自省できたのは、それだけでもとてもすごいことだと思う。僕は汚れて人を殺して自分を殺して、心配しなくても大丈夫だろうけれど、そんな風にはならないでまっすぐ生きてほしい。

自分の時にも思ったけれど、冠婚葬祭は得てして物入りだ。

祝う気持ちと裏腹に3月の京都には遠かった。

交通費が気になって一期一会に背を向けて、自分から自治会の会計決算の引継ぎのための寄り合いの予定を入れた。でも他の方が夜にしか都合が合わなかったので、結局昼間は家にいるしかなかった。何年も前の6月は救急車だったかな。

廃屋みたいなところの何もなくなったがらんどうに単管を組んで仮初のハレを整える。錆びと埃の混じった薄暗がりの中で照明がジリジリ熱いのを、ステージ上下両方の視点が混じって田舎の原風景みたいに思いだす。懐かしいし多分楽しいんだ。

けれど、放っておかれてホワイトボードにこびりついた絵みたいに、何度消しても曖昧に残って上手く字が書けなくなるのなら、いっそボードごと壊して燃やして埋めて固めて建物を作って先生と家出女子高生が住んで子供が生まれて先生逮捕されて子連れ母子は出ていって風化して壊して掘り返して水引いて耕して生えた草も燃やして耕して掘り返して最後に樹でも植えたら、上手く育って切ったら高く売れたりして、僕にとってはまだ生産的なんじゃないかと思った。

去年寒い頃に梅田の半地下のカフェで金の事ばかり話して、さもしさを注意され、とにかく金銭の話題はなるべく口に出さないようにしようと思っていた。しかし、人付き合いが重なったときに折り合いがつかず罪悪感を覚えるほどなのはいただけない。困っているを通り越して恥ずかしいレベルだ。2009年は3ヶ月経ってしまったのでもう絶望的だけれど、2010年は2008年比100万円の増収を目指して必死で頑張ろうと思う。それでも大手メーカー大卒初任給の額面程度の手取りにしかならないのだけれど。

ホワイトボードを消して消して消してもう一度土台から、真っ白に真っ当に書き直したい。膿を絞って汚いことは考えない、道でだまされて色々奪われても、それでも困らないくらい清い人になりたい。足元がずぶずぶで泥まみれなのは消えないのかも知れないけれど、どんどん沈んでいって窒息するのが避けられないのなら、せめて両手を空に精一杯伸ばしたまま死んで、その上に乗ってくれる人には少しでも長生きして幸せであってほしい。最後に見えるのが笑顔だと、少し嬉しい。

淘汰されるにあたって

多少のギターが弾けたつもりだったが、この1年でほぼ全く体が言うことを利かなくなった。練習してもなかなか勘が戻らない。

歩いているだけでも、時には座っているだけでも疲れを感じることがある。仕事中に眩暈がして仕事が進まないこともある。

僕は歳をとった。

全体が、緩やかにもしくは急激に落ちていく中で、生活レベルを維持するためだけでも常に勝ち続けなければ淘汰されるだろう。自分自身や身の周りだけでもそうだし、自分の両親が自分たちにしてくれた教育なり家庭環境の基盤なりを同じレベルで次の世代に提供しようとするならなおさらだ。

現時点ではほとんど何も、義務すら果たせていないんだろうと思う。

だとすると、これから最低でも28年勝ち続けるための強みとして何が使えるのか。

この期に及んで、甘い汁しか吸って来なかったひ弱なモヤシである自覚を持ってもどうしようもないのだけれど、覚悟が足らないのだと思う。現状を見据えて覚悟しよう。寝ている場合でもないから覚悟しよう。

話はそれからだ。

MRI検査

ドリルンベースは好きなはずなのに。

狭い所も好きなはずなのに。

口を全開にした状態で固定器具を咥えたまま、工事現場のような大音響の中で15分間静止していると、あの音がガリガリと脳に貫入して無理やり揺さぶられている気分になった。器具を出ると若干眩暈がした。

胎内にいるときに母親がマッサージ機にかかったりするとこういう気分なんだろうか。今や知るよしもない。

命名センスに欠ける

暗く重苦しい音楽をやるユニットの名前としてはいかがなものか。

日本語表記:蛹蛆

英語表記:9 pupae, tiny maggots

もう少しマシな候補が降って来てほしい。


2月1日に山下club lizardでテケ氏とへっちんの財テクを、梯子で関内FAROUTでブルースマンBULL松原さんのワンマンを観た。

初期衝動の大切さを今もって知ったし、永年の積み重ねから来る貫禄と安定感も感じられた希有な一日だった。

名前を決める以前に、自信を持って世に出せる姿であるべきだ。リハビリ中からでも、自分の信念に基づいて行動していることを宣言していきたいと思う。そうありたいと願っている事をさも実現したかのように虚言するのではなく、今あることをあるがままに語れるように、恥じなくてもすむように。

春立ちぬ

新年の挨拶もせぬまま抱負のない1月を終え、暦の上では早くも春、今年もなにをやっているのだろうか。どうせもう、春来たりなば冬遠からじということで、賀正は来年に取っておこう。

ここ数年は、毎年予定は立てて抱負は決めるものの、特に仕事で義務としてやらねばならない事すらままならず、何一つそれらしい事ができていない。自分が特定の期日までにやっておきたい事があっても、先にこれをしなければと思うことが他にあると手がつけられず、だからと言って外から与えられる義務は終わることはない。そして簡単に何年も過ぎて年老いて土に帰る。

せめて命令されたことは着実にこなせるのが正しい会社員の姿で、私生活を捨ててでもそれが優先する。判ってはいるけれど、それではある種の奴隷と変わらない。誰も期待していないかも知れない完璧な社会人の姿であろうとして鬱屈するよりも、もう少しエゴイスティックに、イベントドリブンではなくモチベーションドリブンで過ごしてみようと思う。動く前から評価を気にするのは愚かである種さもしい事だ。

同じように、何度録り直しても気に食わない音源は、ずっとこねくり回すのではなく、一旦公開して率直に意見を仰ごうと思う。馬鹿にされたとして、ここに至っては所詮そこまでの人間なのだ。

まずは、結果はさて置き動こう。


ごく私的な ToDoList 2009:

  • 節約、貯金
  • 個人サイトリニューアル+アフィリエイト付与(-2/14迄: もう無理)
  • 楽器と歌は過去最高レベルと言い切れるまで練習しよう
  • 音源を作り公開する
  • 横浜近辺で自分の持ち歌をやれるパーマネントなバンドを持つ
  • ライブハウス進出まで行ければ御の字

仕事については粛々と、情勢を踏まえてご迷惑をかけないようにする所存です。

死後も人格を尊重すること

ベルヌ条約の本義は知らないけれど、著作権は作者の死後も何十年間、長く留保される。遺族に遺せるとか、出版社が飯の種を簡単に捨てたくないとかの下世話な理由もあるだろうけれど、死後の権利を認めようと考える出発点は、死後も著者の人格を尊重して約束を守りたいという気持ちの具現であってほしい。甘え過ぎだろうか。

株式会社の経営判断めいた合理性を追求すれば、亡くなった人と何かを約束していたとしても、それを果たさない事を本人は検証できないので、反故にすることによる社会的リスクのない約束を履行するコストは削減せよと言われるかも知れない。宗教的で不合理と見なされるかも知れないが、僕はそうしたくない。

悪人が死んだとしてもざまあなんて絶対言いたくない。そもそも詳しく知らない人だとなおさらだ。その人物にもその人生があって、何かの理由がある。同情もしないけれど、反論できない人を罵倒したくない。

けなしおとしめ、そねみ軽んじるのは簡単だけれど、自分の死後に置き換えてみて何か思うところはないんだろうか。自分の死んだ後なんか知ったこっちゃないんだろうか。親になれば死んだ子の歳を数えたりもする気持ちもわかるのかも知れないけれど、子育てをリスクとしか見なさない人も増えているくらいだし、ますます世知辛くなっていくんだろう。

何が言いたいのか今一つまとまらなかったけれど、例えばCoccoの「遺書」に泣きそうな程共感していたとか、たったそれだけであったとしても、せめて歌を借りた約束を守る事で僕は敬意を表したい。

夢の風景 (17)

野球少年は体力が有り余っていて、グラウンドの隅に20m近くそそり立つバックネットを下から上までよじ登り、てっぺんで少し風を感じた後、得意そうに降りて来た。
練習の後、その辺りではかなり見晴らしのいい16階建ての団地の非常階段の一番上に行った。屋上に上がるには、階段のすぐ外側の空中に垂直の梯子があった。風が強すぎて数十センチの隙間が恐ろしく、僕は持って来た双眼鏡をしまうのもそこそこに中庭に降りた。
数十メートル離れた隣の棟との間の狭い隙間から見上げると、よせばいいのに少年は梯子を上っていた。屋上に手がかかった瞬間、彼の膝が壁に当たり、彼はふわりとのけ反って宙に浮いた。
落ちた。
左手を梯子に延ばしたが掛かった指の関節は逆方向に弾け飛び、勢いで肘まで反対に曲がった。
非常階段の各階の踊り場に、あと16回は転がり混むチャンスがあったが、延ばした腕や足はタケヒゴ細工のようにポキポキと折れ、細い彼は次第に砕けていった。
スローモーションの一瞬の終わりに彼は階段脇に置いてあった消火器に激突した。パーンと自動車のパンクのような音が響き、静かになった。辺り一面が真っ白で、何も見えなかった。僕は一歩も動けなかった。

恩師が全国紙に出ていた

相加相乗平均に新証明法 高校教諭、運転中にひらめく

http://www.asahi.com/science/update/0816/OSK200808160004.html

玉野光南高校時代に、主に吹奏楽部の顧問としてお世話になり、時折数学も教わった内田先生が全国紙に出ていた。我々は悪い生徒だったのであまり言うことも聞かずナメた口ばかり利いていましたが、今は素直におめでとうございます、と言いたい。

日々の生活の糧を得るために何らかの仕事をするだけで疲弊して、ほかの事を何も考える余裕もなくなっている自分を考えると、こうやって趣味として論文を作成し、海外の専門誌に登録して認められるということが並大抵のことではないのがよくわかります。あの頃先生が優しいからと言って根拠のない自信の元に偉そうにしていた自分に、身の程を知れと言いたい。